こんにちは、保山です。
なんと、ほぼ半年ぶりに原稿です。
9月13日に高円寺無力無善寺でバッハのライブをします。
10月10日には渋谷の青い部屋でもライブです。
毎月のように東京には行っているのですが、あいかわらず、時間とお金に余裕がなくて、いつもとんぼ帰りです。
そんなこんなで、では!


約百科事典28
一生懸命覚えた事や、楽しかった事、悲しかった事など、その時はちゃんと記憶しているのに、時間が経つと、だんだん忘れていくのはどうしてですか?(脳みそには物凄くたくさん、記憶するためのスペースがあると、聞いたことがあるので。)」 

時間は新しい出来事の到来の連続によって、前進していくものではない。

(時間は未来からの贈り物ではない)

「現在」は常に道の最前線であって、道の途中ではないのだ。

それでは時間を人間に感じさせる要因は何なのか。 忘却である。 

人間は現在起こっている出来事の渦中で、現在を忘れることはできない。
「現在」を「忘れることはできない」これは同語反復なのだ。 

発射後にロケットが何度か切り離しを行うように、人は現在から適当な出来事を切り離すことで、時間を推進させる。

忘却は脳のキャパシティーやその他の要因によって起こるのではない。
忘却に理由はなく、必然でもない。 

ただ忘却によって累々と築かれた「かつて現在であった出来事」の死骸が時間として認識され、時間を裏付けるのだ。

時間の経過によって忘却が起こるのではない。話は逆だ。 忘却を推進力として時間が経過しているのである。

「おわかりかな?」「もっとわかりやすく言え」 よし、わかった。 

何かを忘れてしまうのは、時間のせいではない。 

あなた自身が現在のものを過去に葬り去っているだけなのだ。

楽しかったことを忘れてしまうのは、それが過去に追いやられた証拠である。 何かを忘れずにいるためには、それを現在の出来事として扱えばいいのである。

「あのときは楽しかったなあ」ではなく、今、楽しんでいるなら、それを忘れることは不可能なのである。

2003/7/19