約百科事典(29)
「試すことについて・試論」

自分のホームページの「質問掲示板」に僕は「試されることは不幸だ」と書いたところ、その意味を問われた。
これはその質問に遅ればせながら答えるものである。

1、試す事の正体

「試用期間」安価な労働力確保、つまり奴隷制の名残り
「毒見」死んでもいい者と死んではいけない者を設定する。つまり階級制の導入
「受験」人間を基準なしに選別することに快感を覚えるだけでなく、受験料金をせしめて金をまた汚いことに使う
「心理テスト、血液型占い等」人を決めつけてレッテルをはり、何かを考えようとする動きを封じようとする、痴呆化推進行動
「恋愛中に相手の反応をみる行為」恋愛では確かなものは愛情以外なにも無いというのに、その愛情を疑い、確認しようとする行為は、愛情から最も遠い行動である。したがって、相手の反応を確かめようとするのは、恋愛がその場で全く無効となった確証になる。

2、試す事の本質

試すとは、まず相手を信じないことからはじまる、人間不信の行動である。
また、試さないことには相手を見抜くことができない自分の無能を宣伝する行為でもある。
そして、試す側は常に自分を上の支配的立場に置こうとする醜い支配欲をあわらにし、試される側は服従の奴隷根性をたたきこまれるのである。

3、試すことの実際

ところで、人は試すことによって、本当に「試す」ことができるのだろうか。
試験などという恣意的なもので何かを測ることなど可能なのか。
もちろん、できないし、もともと人間は試す気などこれっぽちもないのだ。
具体例がある。
デパート地下の試食コーナー。
購入する人は食べる前から買うことを決めており、購入しない人はそれがたとえおいしくても買わないことは最初から決めている。
「試す」と称して、人を奴隷扱いし、自分の支配欲を満足させ、ひいては擬似的に生殺与奪の権をふるうことで、自らを神格化する傲慢なふるまい。それが「試す」ことなのである。

以上、試すことによって、いいことは一つもない。
試さずにはいられない社会は、不幸な社会なのだ。
一挙手一投足にチェックが入っていちいち試される世界がきゅうくつだというのは自明なことのように思うのである。

おわかりかな?
「わかってあげてもいいよ」

2004/5/14

保山宗明玉からのおしらせ
保山のライブ、次は6月26日(土)午後6時30分から、なんばベアーズで。
タイトルは「This is 宇宙」
ついでに、保山は日記をはじめました。
http://diarynote.jp/d/49497