「キのきかないヤツに気はない」

愛は、ありふれた親切である。と明言したのは、確かにカート・ヴォネガットだったが、まあ言い換えれば、ちょっと多めの親切こそが"愛"の真相であり、そんなことは14才くらいまでには知っておくべきで、おっさんおばはんになってから知ったんじゃあ遅すぎるのだ。

だから、そんなおっさんおばはんが、愛をたいそうに思い、世の中をたいそうに思い、人生をたいそうに思うから、仕事もたいそうに思い、人間関係もたいそうに思い、金もたいそうに思うのだろう。そういうオトナが多すぎる。

つまり気が利かない。

シャッターをおろしているのに、づかづか入ってくる客(なにも見えていない)、後ろで行列が出来ているのに気がつかないでATMの前でカバンの整理を始める女(後ろに目がないヤツはアホウだ)、ないものばかり欲しがるくせに目の前にあると買わない男(それがなくなると「もう入らないんですか」と絶対に言う)、凄い音楽と凄い本と凄い映画をいかに経験していかに入手したか&それを知っていることを自慢するアホウ(ロクな音楽も聞いていないしロクな本も読んでいないし、かんじんな映画はぜんぜん見ていない)。

東京なんぞ、こんなやつばかりだ(特に渋谷)。

都会はみんなそうか。いや、地方だって同じか、それよりヒドイか?

どうでもいい、と口にしてしまうのは、罪が深いかい?けっけっけ!

ほんとーに、どーでもいい。どーでも。

JOJO広重 2002.1.11.


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