#1    楽器のこと音楽のこと。

 ■大阪・難波花月にて

昔からそうだが、ギター・フリークとか、エフェクターにこだわるとか、テクニックがどうこう、ということが嫌いである。

自分のギターは、というと、最近はSGだけれども、これも特にこだわっているわけでもなく、実はなんだっていいと思っているが、なんとなく音の伸び方がほかのストラトとかなんとかよりも自分にあっているような気がするから使っているだけだ。それも、なんとなく、である。ここのところガラダマのカキノキくんの使っている楽器屋さんで作ってもらったりメンテもしてもらっていて、ようするにおまかせだ。

エフェクターにいたっては、自分で買ったものはひとつもない。

ファズは頭士くんと非常階段を結成した時に、頭士くんの入っていた軽音部の先輩が「音がうるさくて使いこなせない」という理由でもらってきたものをいただいたものだし、クライベイビーもバイト先のメタルファンの友人から借りてそのままになっているしろもの。ずっとこの2つのエフェクターでやってきたが、スラップハッピーハンフリーを始めた時、どうしてもボリュームペダルが必要になって、これは自分で買った。確か9800円くらいして、なんでボリュームをオフにするためだけのペダルがこんなにするのかと、石橋楽器で妙に不機嫌になったのを記憶している。

ギターなんて、実はなんだっていいのだ。

もっと言えば、音がなっていればなんだっていいのだ。アンプもエフェクターも、PAのエンジニアも、なんだっていい。ようするに音がヘボいのは、おのれがヘボいのだ。ひろったギターにセットで980円の弦はって、380円のストラップでも、かっこいい音は出せるはずだ。

あのギターさえあれば、あのエフェクターがあれば、あのアーティストはどんなエフェクターを使っているのか、ピッキングは...などと、詮索したり妄想したり現金はたいてそろえたところで、つまらんヤツからはつまらん音しか出てこない。

だからサンプリングとか、DJとか、おのれで音を出していないヤツはもっと嫌いだ。なにがヒップホップだ。ようするにファッションと歌謡曲じゃねえか。

金さえあればできるのに、金ないやつがひねて、えらそうにしているだけじゃねえか。黒人でもない日本人が黒人のマネして『ヨォ!』とうなったって、おのれのなかになにもなければ、なんの意味もないよ。

どんなに凄いエフェクターつかって「ヤバイ」音つくったって、実際はそこいらの坊さんのお経にすら勝てないのだ。

せこいやつが多すぎて、せこい音楽が多すぎる。

2001/2/20


  #2   得ばかり考えるようになったら、人間おしまいである。

 ■花月の看板(実は女性漫才コンビです、蛇足ですが)

私はCD屋、本屋、スポーツカード屋という3件の店を経営している。お店だからお客さんが来るわけで、良いお客さんもいれば、万引きする悪いお客さんもいる。

私はもっぱらカード屋にいるわけだが、自分がいる時に万引きを見つけた時は、基本的に殴ることにしている。

他のお店も、店長には万引きを見つけたら警察に連絡を、とは言ってあるが、基本的には殴ってもよいことにしてある。

万引きするということは、やはりその店をなめているのであり、自分さえよければいいという思想に基づいていると思う。

私の店においている商品の性格上、生活にどうしても必要なものではないからだ。

自分さえよければいいと思って万引きしている以上、その人は他人からも「自分さえよければ何をしてもよい」という態度で接せられても文句は言えない。もちろん私が男色なら裏に連れ込んでカマを掘るところだが、まあ腹を殴る程度にしている。(顔を殴ると警察に届けた時にややこしい) また万引きという犯罪の性格からして、せこい。

やるならレジごと現金を盗みにこい!とどなったこともあるし、拳銃くらい持ってから来やがれ、とも思う。

人が見ていないスキをねらって、自分のほしいものを盗るということを、恥ずかしいと思わないスタンスからして、せこい。

せこい子供が多いのは、せこい大人が多いからだが、それにしてもせこいではないか。言っちゃあなんだが、例えばフジヤマで万引きするヤツは人間として最低だ。

もしフジヤマで万引きしてこのホームページを見ているヤツがいたら、おまえは今すぐ死ね。おまえに生きている価値はない。

ほんとうにどうでもいいが、世の中、幸せになろうとか、良くなろうとか、金が欲しいとか、ものを安く買って得をしたいとか、とどのつまり欲の深いやつが多すぎる。

悪くなければいい、くらいでちょうどいいのに。

自分が得をすることを考えているやつがあまりに多いので、私は虚しくなって、損ばかりするをこと考えたり、実行しているのかもしれない。言い換えれば、損をすることしか、今のこの日本にはおもしろいことはないのだ。

不器用で、格好悪くて、ぶさいくで、のろまで、ヘマばかりして、それで何が悪いものか。人間などそれで普通なのだ。それを悪いことように親が子供に思わせたり、学校や社会が差別するから、世の中ますますつまらなくなるのだ。

自分の得ばかり考えるようになったら、人間おしまいである。

2001.4.3.


  #3   18才までに聞いた音楽と読んだ本は一生を決定づける

 ■大阪・ファンダンゴにて

「どーでもいいけど」というタイトルで始めたものだから、どうでもいい話ばかり書いているが、今回もどーでもいいお話。

私の趣味の話である。

趣味は読書である。とまあ、学生がアルバイトに行く時の履歴書に書くようなありきたりの趣味であるが、子供の頃から現在にいたるまで、いろいろ本を読んできた。もちろん私のことだから、いいかげんな読み方をしてきているもので、統一性はあまりない濫読型である。

大事にしてきた本もあるし、好きだったのになくした本もある。執着もあるようで、ないような、つまりいいかげんであるから、熱心な本の愛好家とは言えないかもしれない。でも自分で書店(アルケミーブックストア)を開店するくらいだから、やはり本は心底好きなんだろうと思う。そして、人間は12才までに食べたものを一生食べ続けるというが、私は人間は18才までに聞いた音楽と読んだ本は一生を決定づけると思っている。

今回は10代にいろいろ読んだ中で、象徴的な作品をいくつか羅列する。意味はない。

そもそも、こどもの頃読んだ本で、最初に愛読書になったのはプロイスラーというドイツの作家の「小さい魔女」。

これは影絵劇団が自分の通っていた小学校に来て上演したもので、あとで本で読み直して、はまった。それと、自宅にあった世界名作全集、その中に収録されていたボウムの「オズの魔法使」が大好きで、これも何度も読み返した。

このふたつがトラウマになったわけではないだろうが、小学生時代は児童文学にけっこうはまったクチで、図書委員もやっていた。ヤンソンの「ムーミン」の暗いイメージングに魅せられてからは、やや暗めのトーンの作品に惹かれるようになり、新美南吉や小川未明に傾倒する、ヘンな小学生になってしまった。

次にはまるのは中学生の時に、テレビから入って小説へ転じた、笹沢左保の「木枯し紋次郎」である。当時は江戸川乱歩の「闇に蠢く」「孤島の鬼」、横溝正史の「鬼火」「仮面舞踏会」もよかったが、やはり木枯し紋次郎シリーズほど自分に「きた!」と感じさせるものはなかった。

中学生にして、世の中どーでもいい、と思うに至らしたのは、こいつのせい。信じるものには必ず裏切られる、という世の中の理屈をわかってしまえば、ある意味怖いものがなくなってしまったのである。紋次郎は文庫で全15巻あるが、実は文庫に収録されていない作品もあり、その内容がまた、良い。

あとは中1の時に仲の良かった友人がお知えてくれた安部公房。「箱男」も「密会」もよかったが、高校生で読んだ「笑う月」収録の「公然の秘密」は、こたえた。これは悲しかった。
あと、キャラクターでは、阿佐田哲也の「ドサ健バクチ地獄」のドサ健と「ヤバ市ヤバ町雀鬼伝」のオレンプが、最高。いやはや。

夏目漱石も三島由紀夫も悪くないが、それなら中里介山も良いのだ。こんなことを言っているから、説得力がないのだ。セリーヌもバロウズもエライとは思わないが、テリー・ホワイトとアーサー・マッケンはエライと思う。それで、まあ、未だこんなである、という証明である。

後悔しているのは、日影丈吉に出会ったのが30過ぎてからだったこと。10代に読んでおくべきだった。

で、今読んでいるのはゴダートとスティーヴン・キング。すまん。

2001.4.17


  #4   俺に息の根を止められに来い。

 ■赤痢のみゆ(Vo)とフジヤマで

例えばレコード屋をひらきたいと思ったら、どうしたらいいと思う?

そりゃあ、レコードの問屋から仕入れをしようと思うわな。
で、問屋に取り引きを申し込むとですね、なんだか審査する担当の人が来て、店やまわりの状況を調べにくるわけだ。

で、近所に大型のレコード屋があったり、よく売っているお店なんかがあると、その店があるからここではあまり売れないだろう、という評価をしてですな、なんと卸しの取り引きをしてくれないのである。

つまりレコード屋は、たとえ金があっても、開店できないのである。

こんなバカな話があるかい?誰が商売を始める前から売れないなんて予測ができるのかいな。お前は予言者か?ようするにウタダやモー娘やジャネット・ジャクゾンが何枚売れるかどうかしか考えていなくて、日本のロックとかアンダーグラウンドとか、売る気もなんもない。
そんなことを真剣に考えているのは一部の音楽雑誌とか、生真面目な自主レーベルとか、それを真に受けてレコード屋を始めようという甘ちゃんしかいない、つうことなんである。

だから中古盤屋とか、輸入盤屋とか、自力で出来るお店しか、志あるレコード屋は、できない。

実は三軒茶屋・フジヤマとか、明大前・モダーンミュージックとか、大阪・アルケミーミュージックストアとかで、正規の新品の日本のロックの日本盤を定価で売っているというのは、正直、奇跡的な状況である。

まあ、努力すればなんとかなるかもしれないが、ようするにCDの問屋はせいぜい「ディスクユニオン程度の規模の店になるつもりなら取り引きして、あ・げ・る」という程度の頭しかない、と考えていることは、営業担当の顔を見なくてもわかる。

街の小さなレコード屋なんて、どんどんなくなってくれたほうが効率がいいはずなのだ。

昔からつきあいがあるから、続けているだけ。

大型店とか、蔦屋とか、コンビニとか、インターネットでCDが売れればそれでいい。
問屋の連中は間違いなく思っている。

それは書籍もそうだ。

三軒茶屋の駅前からフジヤマに至るまでには3件くらい本屋があるが、そこに卸している問屋は、これらの本屋も昔からつきあいがあるから卸している(断れない)だけで、廃業してくれればありがたいと思っているに、まあ間違いない。
そんな程度だ。ほんとーに。

しかし時代はどうかというと、そういったマスな商売ではなく、細分化した消費者に小回りの利く商売をしなくてはいかん時代なのだ。

だからフジヤマもモダーンミュージックもアルケミーミュージックストアも大正解で、その証拠にここではウタダもサザンもあゆも売っていないが、3件とも、ルナパーク・アンサンブルとか、紅蜥蜴とか、マジカルパワーマコとかが、延々と売れているのである。

たぶんウタダを500枚売る店では、紅蜥蜴を年間10枚売る店は絶対にできない。

それを仕入れる能力もないはずだ。

しかし問屋にとっては、羅針盤とか、頭脳警察とか、あぶらだこ、をちょこちょこ注文してくる店より、B’zをドカーンと売ってくれる店がありがたいわけやね。

システムなんて、もうこんなレベルでも「つまっている」というのがよくわかる。

そしてつまっているのをなんとかしようとするのは、政治家でも官僚でも、まして会社の部長でもなく、甘い夢を追っているあほな商店主とか、地方のタワーレコードの一介の担当者とかの、むなしいむなしい努力がかろうじて風穴をあけているのである。

だからもういっぺん言うが、そんな店で万引きするヤツ、つまりモダーンミュージックでボアダムズ関連を万引きするヤツ、フジヤマでボアダムズ関連を万引きするヤツ、(なんで万引きするヤツはいつもボアダムズ関連を盗むのかねぇ)とかは、自分で自分の墓穴を掘っていることを知れ。

お前は毎日がつまらない、自分の思うようにいかないと絶対思っているだろうが、それはお前が自分でそうしているのである。

他人にイライラする前に、自分に愛想をつかせ。

あと、特別に言っておくが、アルケミーミュージックストアで1年前にMBのボックスとLAFMSのボックスを万引きしたヤツ、オレは絶対にお前を許さない。

だからもう1度店にくるか、オレのライブを見に来い。

そしてオレに息の根をとめられに来い。

2001/5/9


  #5   アホにつきあう。

 ■原爆階段でのJOJO

観光地とか、名所とか、有名な場所とかに行くと、たいがい『写真撮ってもらえますか〜』と頼まれる。

もうこれは昔からの宿命みたいなもので、頼まれないことのほうが少ないかもしれない。
女子高生、おばさん、家族連れ、カップル、なんでもござれ。また私もたいがいは『はい、いいですよー。。。はい、撮りますよ〜(カシャ)』とやってあげるわけで、まあ、お約束みたいなものだ。

何故私はこんなに写真を頼まれるのか。

頼んでも拒否されそうにない>ある程度カメラとかメカに強そう>そこそこちゃんと撮ってくれそう、に見えるんでしょうね。他者からはいわゆる”気さくなおじさん”に見えているわけで、それはそれで悪い気はしない。いかにもうさんくさそう、怖そう、ヘンなヒト、キチガイ、には見えていないわけで、実際はどうであれ普段はこのようには見られたくないと思っているので、これまた良い傾向である。

音楽雑誌で私の顔のことを「大仏」とか、「仏」とか言われたことがあって、ちょっと憤慨していたが、ある人から『大仏とは思わないが、僧侶のような雰囲気はある』と言われて、ちょっと納得。

どーでもいいけど、というタイトルの示すように、ほとんどのことはどーでもいい、と思っているから、この思想はどこか宗教的な達観に近いのかもしれない。

自分では諦観と思っていて、ようするに自分は生きる意味も価値もないと思っているし、ましてこの世の中は生きるに値しないとも思っている。

しかしまあ世の中には自分以上にダメな連中が多くて、こいつらに抹殺されるわけにはいかないな、というのと、世の中どーでもいいんだから、いちいち気にする必要はないというスタンスでいれば、わりと好きなことができるというコツはつかんでいるのかもしれない。

したいことをして、嫌なヤツは殴る。これが基本だが、仁義と礼節、思いやりは欠かしてはいけない。

この前の3月、京王線の電車に乗っていたら、卒業式を終えたばかりの男子高校生の団体と車両が一緒になった。
車内はそこそこ空いていた。で、男子高校生がお互いの写真を撮りだしたが、私の座席の前に座るグループが、ふと私に『すみません、写真とってもらえますか。今日、卒業式なんで』とカメラを手渡してきた。

ベンチに座る彼らをいつものように『はい、いきますよー』と撮ってあげると、ほかのグループの連中も『オレもオレも!』とカメラを次々に出してくる。
それでもってバシャバシャ取り出すと、連中も盛り上がってきて、つり革にぶらさがったり、車両の中央にむらがったり、馬鹿な顔をしたりと、他の乗客完全無視で、車内大撮影会と化してしまった。

で、カメラマンは、私。

何の関係もない私がアホな高校生の写真を京王線車内で撮りまくっている、という構図がおかしかった。

たまにはアホウにつきあうのも楽しい。

2001.5.21.


  #6   そっと忘れてほしい 。

 ■いい腹

「たとえばぼくが死んだら/そっと忘れてほしい」とは、敬愛する森田童子の歌詞だが、もし私が死んだら、やはり、そっと忘れてほしい。

いわゆる「追悼コンサート」って言うのが大嫌いだ。 
普段は気にも留めていないくせに、死んだとたんに『いい人を亡くした』になっちゃって、有象無象まで集まって悲しみ想うあの集まりが嫌である。

なんせ死んだ本人を知らない人まで来ちゃったりして、結局はコンサートという商売したり、売り上げを香典代わりに寄付されたりしても、やっぱり虚しい。
他人の追悼コンサートも行きたくないし、自分のなんて、絶対にしてほしくない。

相手を思うこと、なんてのは日常であるはずである。

病気になったから、ケガをしたから見舞う、というのもあまり好きではない。
どんなに手厚いお見舞いをしたところで、病気は本人の責任であったり、本人しか痛みがわからないものであって、誰も代わってはあげられない。
がんばって、と言われても、がんばれない時はがんばれないし、私なんかは、がんばれるなら言われなくてもがんばる。
普段から相手のことを思っているならば、なにも病んでいるからといって特別に見舞う必要はない。

誰かに看取られて死ぬことも望まない。可能なら、たったひとりで、誰もいないところで死にたい。

そのまま死体がみつからないほうが良い。

もし見つかっても、日本に持ち帰れないようなところがいい。
灰にして、砂漠にでも散らしてくれれば、なお良い。

葬式もしなくて良い。

どうせ葬式したって、私の知っている人が全員くるわけではない。どうせ忙しいとか、用事があってとか、遠いからとか、お金がないからとか、いろんな理由でこれない人がいる。
全員そろわないなら、何人欠けていたっていっしょだから、それならやらないほうが良い。

まして香典なんか、いらない。
普段は私からさんざん搾取しているくせに、死んだからとか言う理由で、てきとうな小金をつつまれてもこまる。私に借りがある人は、そのお金を私以外の生きている人に使って欲しい。

その方がお金が生きる。

もし私が死んだことを知ったら、みな各自の場所で、一瞬だけ私のことを思い出せば、それで供養になるはずだ。

JOJO広重という人間にはなんの意味もない。

だからもし死んだら、そっと忘れてほしい。

2001/6/11


  #7  勝手に救われてろ、他人に勧めるな

 ■東京・中野公会堂にて

選挙の季節が近づくと思い出す虚しい思い出がある。

アルケミーレコードを立ち上げて17年、ミュージシャンとの楽しい思い出以上に、数々の嫌な思い出があるが、中でも3つほど、忘れられないほど虚しい気持ちにさせられた思い出がある。

今回はそのうちのひとつのお話。

それはある選挙の時、アルケミーゆかりのミュージシャンから電話があり、私の地域の公明党候補に投票して欲しい、というものだった。
本人は当然ながら創価学会員で、当然の行為として知り合いに電話をして、その地域の公明党候補に票を入れるようお願いしているとのこと。

あほか、と、どなっていた。

社長と、ミュージシャンという関係で、選挙の投票を公明党に入れろとは、なにごとか。

音楽を、それも大切にしたいような音楽を通して知り合った仲間に、こんなことで裏切られるとは思わなかった。
私がその候補者の言い分を聞き、納得したなら公明党であろうが自民党であろうが共産党であろうが、自分で選んで投票しよう。しかし、なにが悲しくて、音楽の仲間から頼まれて、公明党に票を入れなくてはならないのか。

しかし、この電話してきた輩は、自分が悪いことをしているとはまるで思っていない。
自分が良いと思うから人に勧めてなにが悪い、ときたもんだ。『じゃあなにか!お前はオレが共産党に入れてくれと頼んだら共産党に入れるんかい!?』
『入れません』じゃあオレもお前に頼まれたからといって公明党に入れるもんかい!
むしろ、金輪際公明党には投票せえへんぞ!っていう気持ちになるわい!

自分がつらい時に創価学会の教えに救われたそうだが、それはお前が救われた(と思っている)だけのことじゃないか。 
勝手に救われていろ、他人に勧めるな。

まして、このオレに勧めるな。オレがどんな人間か、知っているのか。世の中の常識をこんなに嫌っているオレに。

オレは選挙権を所得して、最初に投票したのは雑民党の東郷健さんだ。あとはアントニ猪木、木枯し紋次郎の中村敦夫。それでも毎回選挙には行っているが、宗教とか、人に頼まれたからとかで、投票したことは1回もないぞ。

「あの人、悪気はないのだから、許してやって」...あほか。悪気がなくて嫌なことを言っても許されると思っているから、キチガイが小学生を殺したって許すのかい。自分で悪いことを言っていると思わないで言っているヤツのほうが罪が重い。

というわけで、オレは今回も公明党には入れない。どんなに立派な公明党候補が出てきても、オレに勧めたヤツが謝ってこない限り、投票しない。

どーでもいいことを、どーでもよくなくしてくれた、たぶん一生忘れない思い出である。

今年も選挙には行くけどね。

2001.6.23.


  #8   竜を見たことがある

 ■広重夫妻結婚式にて

神秘体験というほどのものではないが、小学生の2年生の時、不思議な体験をしたことがある。

夜中に目が覚めた。

その頃は私の左に姉が、右側には両親が寝ていたと思う。 
寝たまま天井を見ると、知らない女の人の顔が浮いていて、じっとこちらを見ている。もちろん電気は消されているから部屋の中は暗いはずだが、顔ははっきりと見えている。

自分の両側を見ると、姉や両親はぐっすりと寝ている。どういうわけだか恐怖心はなく、また、家族を起こそうという気持ちもおきなかった。

でも、さすがに怖かったのか、目を閉じて寝ようとする。すると目を閉じて何も見えないはずなのに、自分の両側に複数の男の人の顔が浮かんでくる。なにか老人のような顔だったように思う。で、目をあけると、やはり天井には、あいかわらず女の人の顔があって、じっとこちらを見つめている。

ずっと起きていようと思ったが、子供だからか、その後いつのまにか眠ってしまった。で、朝起きると、天井にはなにもない。

昨日の夜こんなことがあったと親に話をしても「夢をみたんだろう」と、てんで相手にされない。

寝ていた部屋に戻って、イスに上って天井をよく見てみたが、もちろんなにもなく、ただベニヤ板の天井があるのみだった。

35年ほど前の話だが、今でもその時の不思議な光景は覚えている。

天井に現れた女の人がなんだったのか、今でもわからない。

もしかしたら彼女は、自分の守護神のようなものかもしれない。
人間にはだれでも守護神のようなものがあって、それは先祖であることが多いが、私の場合は誰なのかはっきりとはわからない。でも、私の守護神は自分の遠い先祖であるような気はする。でも、本当に私が見たのがそうかというと、ちっとも自信がない。
人によってはもっと位の高い守護神がついていたり、天狗とか、人ではないものが守護神の場合もあるそうだ。そして自分が友人とか誰かと話している時、守護神同士でも話をしている時があったりするらしい。でも内容はよくわからないことが多いそうだ。

赤痢のギタリストの女の子とは私はよく波長があったようで、彼女と一緒にいる時は、いろいろと不思議な体験をした。デジャブのようなこともよくあったが、ふたりでいる時には幽霊のようなものも一緒によく見た。

極めつけは、"竜"を見たことがある。

ツアーの帰り、東京から京都に帰る深夜のドライブで、彼女と私だけが起きており、明け方の空の雲の隙間に、大きく動く"竜"のお腹の部分を、ふたりして見たことがあるのである。
大きな、本当に大きな竜が、雲の隙間をゆっくりゆっくり、動いていた。

嫌な感じの体験をしたのは、確か1983年。その頃渋谷のあるビルに事務所を持っていて、仲間と集まっている時に、どうも、なにかしらないが気分が悪くなって、早退した。目黒の自宅に帰ったとたんに激しくもどしてしまい、ぐったりしてベッドに横になっていると、その渋谷の事務所から電話。

『おい、今すぐテレビをつけてみな。この事務所の上の階の部屋の押入から、女性の死体が発見されたぞ。今、このビルの前に警察が。。。。』

あんまり幽霊だの、先祖だの、がバンバン見えるのは、うんざりだが、ちらちら見える程度の感覚は持っていたいと思う。いちいちタロットカードを広げたり、ホロスコープをかいたり、なんてのは嫌だけど、なにかヘンな雰囲気とか、妙に暗いとか、ヘンなニオイがするとか、そういった第六感はあったほうが便利だ。

昔の人はもっとこんな感覚を、普通に持っていたんじゃないかなぁ、と思う。

でも、小学二年生の時に見たあの女の人の顔、なんだったのかな。

2001.7.5.


  #9  そう、思いたい

 ■赤痢のあやちゃん(Dr)とくーちん(G)フジヤマにて

赤痢のあやちゃんがカナダに引っ越してしまった。

アルケミーレコードの前半期をささえた素晴らしいバンド・赤痢。そのボーカリストであったみゆちゃんは、現在はサンフランシスコに在住。そしてその後のアルケミーの経理を担当し、アルケミーブックストアで働いてくれた、赤痢のドラマーであった、あやちゃんもカナダという遠国に去っていってしまった。

もちろん14才という年齢で結成された赤痢も、2001年には彼女たちは30才を超えているわけで、結婚にしてもなんにしても、人生を選択してゆくのは当然。それに対して我々が何を言う資格もないけれど、やはり素晴らしき仲間であった彼女たちが、この日本を離れていくことには、寂しさと同時に、何かしら、自分自身を考え、まわりを見つめ直す機会を与えてくれていることに気づいた。

みゆちゃんにしても、あやちゃんにしても、もちろん魅かれる人がその国にいるからそこに行くわけで、別に日本という国を捨てて米国とかカナダとかいう国を選択したわけではない。しかし結論からすれば、やはり日本に彼女たちが魅力を感じる人がいなかった、ということに尽きるような気がしてならない。

私から見れば米国もカナダも凡庸で退屈な国に見えるが、ようするに日本こそがつまらなくて、そこで起こっている現象も、そこに住む我々の全ても退屈でつまらない、という結論を彼女たちに突きつけられた気がする。

こういった感情は僻みに属するもので、もちろん彼女たちがそんなことを口にしたこともなければ、思ってもいないことである可能性は高い。彼女たちにすれば、たまたま選択した人が外国人だっただけで、今という時期だけ日本を離れているだけにすぎないのだろう。もちろん日本だって好きだろうし、日本の仲間たちを、つまらないなんて思ったこともない、と言うに違いない。

それでも、私は思わないではいられないし、言わないわけにはいかない。我々が愛し、愛すべき、そして素晴らしい音楽演奏者であり、純粋な精神の持ち主であり、信じられる、そんな彼女が、彼女たちが、1度ならず2度までも、『おまえたちはつまらない』というアンサーを呈したのだ、と。

選択に値しない、のだと。

そして取り残された我々は、この悲惨なまでに退屈で、つまらなくて、終わった国である日本で、ダメなやつらと、さらにダメなやつらのために、徒労を繰り返しながら、自分の手を見つめながら、威張りながら、蔑みながら、それでも止められない手慰めを、ほんの少しの誇りを信じて、ただ毎日を生きていくのである。そう思いたい。

そう思え、と、あやちゃんが言っている。そう、思いたい。

2001.7.18.


  #10   映画の話

 ■東京・新宿の映画館

音楽を聞くことや本を読むことに比べれば、三番目か四番目の趣味だけれど、もしひとりで時間があれば、映画を見に行く。 
若い頃は女の子と、男の友人とも映画を見に行ったが、最近はひとりで行くことが多い。

多少見にくくても、前の方の空いている席で、前や隣に人がいないところで見るのが好きだ。

単館ロードショーでかかるような小難しい映画は、最近は見に行かない。

10代のころはそういった映画は自主上映団体が小さなホールでやっていたもので、もちろんこまめに足を運んだが、今の映画はどうも最初から行く気がしない。
年をとったと言えばそれまでだが、なにか怪しいもの、こっちの期待を裏切るもの、ささやかなものが、どうも最初っからない気がしてならない。

やはり昔はオープンでないものが多かったし、今のようになんでも手に入る状態ではなかったからで、今更アングラなものはアングラであろうとして作られたものである以上、作為がないものはないからである。

で、どんな映画が好きですか?ときかれると、たいていは「ゴッドファーザーPart2」とか「明日に向かって撃て」とか、無難な答えを用意しているが、このコラムはけっこう本音で書いているので、いちおう正直に羅列。



ウッディ・アレン 「スターダスト・メモリー」

ウッディ・アレン 「カイロの紫の薔薇」

カルロス・サウラ 「フラメンコ」

ヴェンダース 「さすらい」

ハル・アシュビー 「チャンス」

ルチオ・フルチ 「ビヨンド」

トビー・フーパー 「悪魔のいけにえ」

押井守 「うる星やつら2・ビューティフルドリーマー」

岡本喜八 「ブルー・クリスマス」



すぐに思いつくのはこれくらい。あとは映画もいいけど原作の魅力が大きい「砂の女」「スローターハウス5」とかも好きだったけど、もう何年も見ていないから忘れた。

上記の作品は「ブルー・クリスマス」をのぞいてビデオかなにかで持っているので、1〜2年に1回くらいは見る。

で、一番好きなのは「スターダスト・メモリー」なのだけれど、正直、この作品が好き!という人には出会ったことがない。
以前は人にも薦めていたが、誰からも良い反応がないので薦めなくなった。

モノクロ作品だが、映像の印象も淡くて哀しくて、良い。

ウッディ・アレン自身もこの作品は気に入っているが、興行的には不振だったようで、それもうなずける。

でも、可能なら、もう1度、映画館で見たい1本である。

感傷的すぎるけれど、可能なら、がら空きの映画館で、ひとりで、すみっこで、見たい。

2001.8.9.


  #11   プログレについて

 ■フジヤマ近くの公園

たぶん、今までに聞いてきた音楽で、いちばん多種類を大量に聞いてきたのは、プログレッシブ・ロックと呼ばれるジャンルの音楽だと思う。

プログレというのはヘンなジャンルで、シンセサイザーや電子音のコラージュ、現代音楽のようなものから、歌謡曲とかポップス、アシッドなサイケロックまでひとまとめにして「プログレ」という言葉で落ち着けてしまう。

こんなヘンなジャンルは他にないのではないか。

最初に聞いたのはピンク・フロイドの「おせっかい」くらいが最初だと思う。これは1971年の作品だが、実際に聴いたのは1972年になってからだったろう。
キング・クリムゾンも聞いたのは「クリムゾン・キングの宮殿」が最初だったが、耳にしたのは1973年で、「太陽と戦慄」以降がようやく同時代的に聞いていたと思う。

このフロイドとクリムゾンは実際よく聞いた。

1970年代は京都に住んでいたが、当時はたいした情報もなく、輸入盤屋も少なく、こういった音楽のLPが買えることもそうだが、聴くことができる状況すら少なかった。情報源は雑誌「ミュージック・ライフ」くらいで、これまたろくな記事も載っていなかった。なんせ「ジャイルズ・ジャイルズ・アンド・フリップ」が「ギルズ・ギルズ・アンド・フリプ」と掲載されていた時代で、まあ、平和な時代でした。

そんな時代に、一日の小遣いが500円の高校生の私は、昼食をぬいて小金をためて、中古盤屋に毎日足を運んだり、輸入盤のバーゲンなどをチェックしたりして、実際年間365枚以上のLPは購入していた。

学校帰りに毎日寄ったロック喫茶でリクエストしたり、ラジオのエアチェック(死語!)も欠かさず、連日友人とレコードを交換したりして、とにかくプログレの音楽はよく聞いた。

ラジオはFM大阪のビート・オン・プラザ。田中正美くらいしかLPをまるごとかけてくれるDJはいなかった。
川村デデの番組にもよくリクエスト葉書出していたし、渋谷陽一の「1976さよならはロックで」はたぶん今でも録音したカセットテープを持っているはず。NHK・FMでソフト・マシーンの「ソフツ」がかかった時に曲名を解説するNHKアナウンサーの棒読みジャパニーズ・イングリッシュは声の抑揚まで覚えている。
KBS京都のテレビ放送で、ポップス・イン・ピクチャーという今で言うMTVのような番組があり、やはり川村デデがヤング・オーオーなのりでレコード会社のプロモフィルムを流していたが、ロックマガジンを創刊した阿木譲が出てきてプログレ特集。メイクしたピーター・ガブリエルwithジェネシスや、教会で歌うピーター・ハミル/VDGGが見れた時は本当に嬉しかったものだ。

今はどうなんだろう。

プログレはおっさんの趣味音楽になりさがっているのか、それとも後追いで過去に先鋭的であった音を探す音楽ファンの情報か、それともDJやテクノ野郎のネタさがしか。

ピンク・フロイドの「ウマグマ」の紙ジャケット再発とかを見ていると欲しくなるあたり、やはり中年族の懐メロですか。でも、あんなに未来的な音楽だったのに、21世紀にタンジェリン・ドリームやピンク・フロイドやフォーカスみたいなバンドがひとつもないのはどういうことなんでしょうねぇ。

でも、まあ、自分にとってもプログレが源泉である以上、いつかはそれを整理して、後世に伝える義務はあるわな。うん。

2001.8.28.


  #12   魅惑の女性

 ■中尾曜子写真展DM

例えば、40代以上の世代なら、「ちびくろサンボ」の中に出てきた、虎がぐるぐるまわって出来たバターをつかって焼いたパンケーキは、ものすごくおいしそうに思えたのではなかったろうか。

そしてお母さんにねだって焼いてもらったパンケーキ(もしくはホットケーキ)が想像していたようなおいしさではなく、がっかりした経験もあるのではないか。

男子にとっての女性像はどうだろう。

何かで見た週刊誌の写真、知り合いのお姉さん、同級生など、どこかで知った"女性"という存在が、なにかその後の女性への好みを決定づけるのかもしれない。

心理学にはくわしくないが、どんな男性にも好きなタイプの女性というのはあるもので、そのきっかけは何なのかなあ、と不思議に思う。

江戸川乱歩の小説で『闇に蠢く』という作品があって、そこに出てくる「お蝶」という女性が、妙に惹かれるのである。

インド人というあだなを持つほどの色黒で、鼻も低くて、はれぼったい唇、一重の異常に切れ長な目。でも乱歩筆による体の美しさの描写が、なんともエロチックである。
私なんかはアグネス・ラムあたりとイメージがだぶってしまう。

そしてセリフがいい。

『でね、あたしお願いがあるんだわ。一生に一度のお願いなんだけれど』

『いってごらん』

『それはね、あたしとふたりで、どっか遠いところへ逃げてくれない?ね、お願いだから』

『なぜだい。だれか逃げなければならない人でもあるのかい』

『いいえ、そうじゃないわ。そうじゃないけれど。あたしね、どっかの山の中へでもはいって、あんたとたったふたりっきりで、ほんとうにふたりっきりで暮らしてみたくなった....』

この後はまさに乱歩ならではの地獄絵図が待ち受けているのだが、もちろんそんな地獄が待っているのは承知でも、こんな言葉を言われればその道を選ぶ男もいるのである。

2001.9.8.


  #13   犬を見よ、石を見よ、星を見よ

 ■東京・世田谷のどっかのお狐様

死ぬことはこわくない。
なぜなら、生きることに執着する理由がないからである。

いつ死んでもかまわない。
そう思うことでなんとか今日が生きれることもある。

自分なんか存在しなくても世界にはなんの影響もない。
そう思わないで生きている人間の気持ちがわからない。

おもしろいことなんて、ない。
自分がおもしろがれるか、否か。それだけのこと。

ここでないどこか、なんて存在しない。
どこに行っても、どこに住んでも、同じ。

忘れることができるから、救われる。
しかし最初から記憶しなければ、忘れることもできない。

自分のために生きることなんて、誰にもできない。
誰のためでもなく生きることしか、生きる意味はない。

犬を見よ、石を見よ、星を見よ。
それより劣ることを知るべし。


2001.9.19.


  #14   野球カードと、野球のこと

 ■駅売りのスポーツ新聞

野球カードの店を始めたのは、音楽の仕事が息苦しくなって、まるっきり音楽と関係ない仕事がしたくなって、たまたまアメリカで寄ったカードショップやカードショーがとてつもなく楽しくって、それで、フジヤマの軒先で、1992年に始めた。

野球カードは、趣味としては単純で、そんなに深い趣味ではないが、だからこそ日本人や今の時代にあっている気がする。 
そして趣味というものは基本的に個人で完結するものであるのに対し、この野球カード収集は、自分がオープンであり、また善人でないと、効率良くカードがあつまらないという、趣味本来の持つ性質と逆を要求されるところがおもしろかったのだと思う。

まあ、結局は金持ちにはかなわないが、それはどんな趣味だってそうだろう。

カード屋のおもしろかったところは、コンビニ時代、ユニクロ時代に、なにか昔の商店風、つまり近所の八百屋や魚屋のように、そこの店長に顔を覚えてもらって馴染みにならないと良いカードはまわってこないという、これまた前時代的な経営がものをいうところだと思う。

心が温かいということは差別もあるということなので、追い出されないようにつきあう、つまりは自分も損をして、いつか得をする、という学校ではまったく教えない生き方を出来ることが、カード屋とつきあうには必要であるということである。

これもまた、笑ってしまうほどおもしろい。

自分勝手なやつ、だますやつ、思いやりのないやつには、絶対と言っていいほどそいつが欲しいカードは手に入らない。

なんだか人生の縮図が見えて、とにかくおもしろいのである。

で、息抜きのはずが10年もやってしまった。

協会の会長とか、どこやらの顧問とか、テレビ出演とか、それはまた、ノイズとか「このまま死んでしまいたい」とかから百万光年も違う世界でも、都合よく使われる身になってしまった。

自分では望んでいなくても、こうなってしまう。

あほらしいことも、しょうもないことも、嫌になることも山ほどあるが、どうも私の後が続かなくって、やめられない。腐るよりは楽しんでしまえ、と思っているが、音楽の仕事が疎ましくなったように、いつかこれも疎ましくなるかもしれない。

安住できる場所などないものだ。

野球は今でも、少しは好きである。
野球は楽しいというよりは、哀しいスポーツであるからである。

フェアプレイとは縁のない連中が、姑息な作戦と、会社と人間関係に挟まれながら、怪我だらけの体で、血をはきながらやるスポーツだと思っている。

それでも清い瞬間があって、それまでどんなに汚い連中であっても、その瞬間は美しく見えるという魔法も兼ね備えている。

長嶋の退任は別にかまわない。メジャーリーグにどんどん日本人が行ってもかまわない。オールスターも日本シリーズもたいがいはつまらないが、ろくでもないメンバーによる消化試合でも、おもしろい時はおもしろい。

野球はそれでいい。

2001.10.4.


  #15   ハードの話

 ■PC

ソフトよりハードが好きかもしれない。

いや、なんの話かというと、音楽なら、収録されている音よりも、再生するオーディオなんかが気になる。ビデオソフトより、ビデオデッキやDVDプレイヤー。ゲームよりもゲーム機、パソコンなら文字通りソフトよりハードをいじっている方が好きだ。

つまり機械好き。

こういう人は男に多いが、だいたいは幼少の時期にさみしい思いをした人が至る性格とのこと。
私がさみしい思いをしたかどうかは忘れたが、何をやるか、よりは、何かをやるための準備、が好きだったのは間違いない。

草野球チームにいても、試合をするよりは、延々と練習をするのが好きだった。ノックをうけて守備をしている時間が、自分にとっての野球だった気がする。

で、最近はパソコンをいじっている。

組み立てもできるが、ここ数年いじっていなかったけれど、事務所のパソコンの電源がはいらなくなって、修理をしていたら部品がだぶってきて、ついでにもう1台作ってみた。

パソコンはちゃんと動かなくて普通だが、新規に作ったマシンは、よけいなソフトを入れていないせいか、快調である。

メールやホームページの管理をしているメインマシンは調子が悪いし、CD-R専用にと昨年購入したソーテックマシンは電源まわりが弱い。本屋(アルケミーブックストア)に入れたソーテックも電源がはいらなかったり切れなかったりするので、どうも電源まわりが弱いのだろう。しかしどうやったら「電源まわりが弱い」機械がつくれるのか、不思議である。

パソコンは80年代始めに富士通FM−7を買ったのがきっかけで、NECの9801F2、98NOTEを経て、MACのLC575、ゲートウェイのペンタ120、自作のMMX200、その他にもいろいろ買ったり作ったりして、今のは15台目くらい。

で、ちょっと飽きてきている。

それはパソコンがちょっと、てっぺんまできていて、しばらくはドラスティックな進歩はないだろうからである。

でも、自主制作DVDはやりたくて、DVD-Rが性能UP&低価格化するのを待っている。

2001.10.17.


  #16   佐井好子となら、死んでもかまわない

 ■佐井好子さんのCDより

佐井好子と、いっしょにアルバムを作ることができた。

アルケミー・レコードより、2001年11月25日発売の「JOJO広重 featuring 佐井好子/Crimson Voyage」(ARCD-136) がそうで、私のインプロヴィゼーションによるギターと、佐井好子の即興によるスキャット・ヴォイス、歌によるコラボレーションである。

佐井好子、というシンガーを知らない人には申し訳ないが、彼女は1975年から1978年くらいに活動し、アルバムを4枚残して忽然と消えた、個性的な歌詞と、幻想的な歌唱力で知られる伝説的なシンガーである。

佐井好子は当時の私にとってのアイドルであり、私が音楽に傾倒する原初的な存在であり、なにより彼女の音楽をこよなく愛した。当時も死ぬほど聞いたが、その後も、1999年にCD復刻される以前から、つまり25年くらい、彼女のアルバムはずっと聞いてきた。

しかし彼女は、歌詞が一風変わっているとはいえ、いわゆるポップスシンガーである。私のようなノイズギターとは一切縁のない存在であり、またノイズと言う音楽の存在すら知らなかったであろう、そして20年以上も音楽活動にブランクがあった彼女と、21世紀になって、スタジオに入って共演できようとは、それこそお釈迦様でも想像だにしなかったに違いない。

でも、望めば、かなう夢もある。

例えば、ホークウインドの来日公演で同じステージに立たせてもらったり、頭脳警察の再結成ライブを見たり、佐井好子の復刻CDのライナーを書かせていただいたり、佐井好子とレコーディングするなどといった、夢こそ思いながらも、およそ実現するはずもないことでも、思い続けることで、実現することもあるのだ。

奇跡、とは思わない。

私は「こうなればいいなあ」とは思っていたが「でもどうせ無理だよな」とは1度も思わなかった。

それだけの差、という気がする。

2001.10.31.


  #17   ワレ、思ウ

 ■フジヤマの時計

思う、だけではだめなのか。

思うだけでは、したことにはならない。

行動、もしくは表現しないと、したことにはならない。
しなければ、思っていたことは証明できない。
だから、思っていても、しない人と、なにも思っていない人は同じことになる。

だから、する、のかもしれない。

でも、思っているけれど、しない人と、なにも思っていないから、しない人とは、きっと異なるはずだ。
でも、それは、なかなかわかってもらえない。

している人だって、考えてしている人と、何も考えないで、している人も、いる。

そして、自分では考えて、しているつもりでも何も考えないで、しているように見られる人もいる。

何も思っていないのに、思っているように見える人も、いる。

そういう人たちが、たくさん入り混じっているから、どの人が、考えているのか、考えていないのか、思っているのか、思っていないのか、実は、たいがいは、よくわからなくなっているのではないか。

思っているだけで、しない、ということは、したくない。

思う前に、することも覚えたけれど、思わないで、しないように、したいと思う。

思うことができなくなった時、人は死ぬのだと思う。

2001.11.13.


  #18   なるようになる、ということ

 ■煙草

ジョージ・ハリソンが死んでも、ジョン・レノンの何回目の命日でも、あんまり感慨はない。

私には4才年上の姉がいて、彼女がロックやGS好きだったことから、幸運なことに、ストーンズもビートルズもグランド・ファンク・レイルロードもツェッペリンも、全部オンタイムで聞いている。もちろん小学生の私にその真価がわかろうはずもなかった。もっぱらウルトラQやウルトラセブンの、朝日ソノラマから出ていたソノシートを聞くほうが楽しく、「お話」の入っていない音楽だけのレコードを聞いてなにがおもしろいの?などど訊ねていた記憶がある。

ビートルズ映画も何度か連れていかれた。そして映画「レット・イット・ビー」にも、公開時に行ったと思う。 
家にはたいがい7インチのシングル盤しかなかったが、レット・イット・ビーは映画館で買ったのか、LP盤が家にあった。

そして、何度となく、聞いた。

自分が興味を持って聞いたのは、13才になったころだと思う。

レット・イット・ビーの意味が「なるようになるさ」という、ちょっとなげやりな意味合いの言葉であることを知ったからだ。そして名画座で、ビートルズ祭りかなにかの際に、もう1度、映画館でこの虚しい、本当に虚しい映画『なるようになる、ということ』を見た。

ビートルズの映画やアルバムの中では、この「レット・イット・ビー」が一番好きだった。

なにかバンドや音楽が終わる、そのはかない瞬間を見事にとらえているからだと思う。

バンドや音楽に寿命があることを、知った。

この映画は、現在はなにかの原因で、ビデオやDVD化されていない。10年以上前に1度発売になったレーザーディスクは、いまやプレミアアイテムである。

でも、西新宿のレコード屋街にいけば、海賊版のDVDで、数千円で売っている。もちろん買った。

でも、やっぱり虚しくて、哀しくて、最後までは、見ていられなかった。

2001.12.10.


(c) jojo hiroshige


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