第36回
期待しているのだが、本当は


なんとなくだが、新しく作られる音楽とか、映画とか、小説とか、画とか、アートだとうか、そういったものはいらない、と、いう風潮を感じる。

もちろん刺激として、そういったものは必要だし、生産>消費されいくのであるが、価値のあるものはおもに70年代に出来上がっており、現在の連中が制作するものはそれを超えられない、という風潮である。

これはある意味当たっている。例えば映画なら、「ホーリー・マウンテン」でも「悪魔のかつら屋」でも「スターウオーズ」でも「明日に向かって撃て」でもなんでもいいが、そういった映画を現代の人間が現代の機材で作ることはできない。音楽もまあ同様で、誰も村八分やラリーズやINUやほぶらきんにはなれないのだ。

ゲームだって、機材や技術は格段に進歩しているのに、ドンキーコングやボコスカウオーズのほうが、バーチャなんとかよりだんぜん面白い。これはなんなんだ。

なんだか、ゴールを通り過ぎたマラソンとか、明大前で降りるはずが府中までいっちゃった、そんな感じに似ている。

文化がだめになっているとか、日本がどうとか、今の若者が、というよりは、おっさんがおっさんの都合の良い世の中にしてしまった、ということにつきる気がする。でないと、街を歩く女の子のスカートが年中短かったり、真冬でも雑誌の表紙をボインの少女がビキニでかざったり、ヤフオクとかDVDとかで懐かしいモノがなんでもかんでも手に入ったりするはずがない。

若い連中とか、子供とかは、こういったおっさんのおっさんのための策略にはまっているのだし、策略を見抜いているやつでも、やってることはせいぜいテロとか自殺とか引きこもりとか学級崩壊程度で、例えばワイルド7を自前で編成するヤツとか、うる星やつらの面堂終太郎を地でいくやつ、なんてのは出てこない。妙に納得すんなよな、と言いたくなっちまう。

若いヤツのかっちょいい音楽とか、映画とか、そういったものが見たいんだよな。
そのうち、おっさんの時代も終わるからよぅ。

2003.2.14.
JOJO広重


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