第41回
「悪循環ライフ」

さんざん悩んだ末、最悪な道をわざわざ選ぶ人がいる。

最悪な道と知っていて選ぶならともかく、相手に役に立とうとか、相手を思いやってとか、なんとかしようとして、それでいて、相手に感謝されるどころか、怒られ、罵られ、見下され、相手を不愉快にしてしまう、そんな道をわざわざ選ぶのであるから、これは間が悪いとか、性格がというよりも、その人の生き様なんだなあと、つくづく思う。

つまりは頭が悪いのだ。気が利かないのである。気が付いているのに、そのように出来ないのであるから、そのような人だと思って接しないといけない。相手を信用してしまうと、こっちが裏切られた気分にさせられてしまう。

誠意とはなにか。これは子供の時にちゃんとお知えないと、ダメだ。

誠意をちゃんと表現出来ない人には、他人も物事も事象も誠意を持って接してくれない。そしてさらに「うまくいかない」とひがむことになる。悪循環ライフである。

好循環ライフに転換するには、徳をつむ必要がある。早起きをするとか、人が見ていないところでも、汚いところでも掃除をしたり、老人に席をゆずったり、まわりの人に迷惑をかけないように動くこととか、いつでも笑顔でいるとか、そういうことである。

でもこういうことは、悪循環ライフの人は、まずできない。出来ても継続できない。だから、やっぱり悪循環ライフに戻っていくのである。

そういう人は、小さく生きるしかない。そして、社会のゴミや塵として自分を理解すれば、世の中はそんなに住み難くない。大きなゴミなら拾われて回収されて廃棄されるが、小さな塵なら無視される程度ですむ。

所詮、ぼくもあなたも君もお前も、みんな大なり小なり、遅かれ早かれ、社会のゴミである。ゴミはゴミとして、早く自覚したほうが、かしこいと思う。

JOJO広重 2003.10.10.

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