live memory   #1

はなたらし             text 渡辺正     2001/3/31 


今は無きライブハウス、大阪あひるでの「はなたらし」である。

ヤマタカアイが当時は山塚アイと名乗り、私への手紙では山塚徹郎とちゃんとしるされていた。大阪の林君(アウシュヴィッツ)から観に来てよと言われ、なにか起きそうな予感がしたのも事実。別になにも起きなくてもいい。そう予感させるだけの何かが充満してればいい。とにかく、信用のおける林君が薦めるバンドである。しかも名前が「はなたらし」である。私は迷わず新幹線ですっとんでいった。

あひるのステージは金属ジャンクが山と積まれて工事現場を越えて、すでにアートなオブジェを見る世界。ドラムに竹谷さんが座り、ギターにはNULLがノイズを撒いていた。山塚君は、ノイズに踊らされるようにジャンクな金属たちと格闘するがごとく暴れ、電動切断機のスイッチを入れ、さらなる気色悪いノイズを発信し、その火花を私は浴びることになる。広角20ミリで目いっぱい近ずいて写真を撮った。もう、なんだか戦いだった。チェーンで自分の首を吊っちゃったりするんだから、遠くから望遠で撮るのは失礼だと思ったんだ。そっちがその気なら、こっちも危険は覚悟しなきゃ・・・と、思ったような気がする。

数年後、やばいバンドのレッテル貼られた「ハナタラシ」は渋谷ラ・ママの東京初ライブで一気にブレイクすることになる。そしてありもしない伝説とやらが勝手に一人歩きして、私をしらけさせるのだ。「はなたらし」は美しいバンドだったんだ、しょぼくて。



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