来客列伝 #4

地引雄一さん(テレグラフ・ファクトリー/イーター主宰)

私はフジヤマをオープンさせる前に「下北沢五番街」の店長をしていて、地引さんはゴジラレコードのミラーズのシングル盤を納品してくれたのが付き合いの始まりだったような気がする、80年代はじめだから、勿論インディーズなんて言葉も無くて「自主制作盤」なんて云ってた時代。「マイナー盤」という言葉が当時は通りがよく、ポピュラーだったが、なんか嫌で、二人で「自主制作盤」という事にした。まだまだインディーズなんて置く店もなく、東京では新宿「エジソン」「帝都無線」高円寺「BOY」中野「オールディーズ2」そして下北沢「五番街」が全ての明暗を握っていた。

オリジナリティと淡い夢にとりつかれて、レーベルとショップが金銭抜きで協力しあえた本当に純粋な関係の雛型を地引さんと作った自負がある。その頃の同志がJOJO(アルケミー)であったりタム(ADK)であったり西村茂樹(RBF)であったりするが、失踪のタムは残念だが、この頃の同志は今も不変の精神的な繋がりを感じる。

そして、その祖は地引雄一の人柄によって築かれたと言っていい。

text 渡辺正 2001/6/27

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