”最強のバンド”の巻

ここで書き始めて、今回で24回、約束通り月2回の更新は何とかしてきたつもりだから、一年間続けることができたことになる。実は第一回目の原稿を書いたのが、昨年の誕生日だった。
今回のタイトルはすごいでしょう。

誰でも、この一枚を聴いていなかったら、こんなことにはならなかった、とか、このバンドのライブに打ちのめされて、人生が変わった、みたいなのがあると思う。とくに、このホームページを読んでいるような人ならなおさらだ。

僕にとって、最高のバンドは沢山ある。でも、今から書いていくバンド以上に思い入れのあるのは数える程しかない。DEXY'S MIDNIGHT RUNNERSこそ、僕の人生を変えたバンドだ。

1980年3月1日、我が22歳の誕生日、ロンドンはカムデンにあるELECTRICBALLROOMでライブを体現して以来、現時点に到るまで、僕がバンドをやる原動力になっている。

当日は、前座のNIPPLE ELECTORSの時までは、比較的和気あいあいとしていたにもかかわらず、DEXY'Sの出番が近付くにつれ、スキンヘッズとルード・ボーイズが次第に一触即発の状態になっていくという、異様な雰囲気だった。

正直なところ、僕は”ツートーン系のバンドだから面白そうだなあ”という認識しかなく、どんなバンドかも知らずに、ライブ会場に行ったのだから”今日はスキンヘッズが多いなあ”ぐらいにしか思っていなかった。

で、バンドのメンバーがゾロゾロとステージに上がった時に、はじめて”すごい事になる”って思った。格好は、革のジャケットを着込んで、チンピラそのもの、人相も相当悪い。演奏のほうは、いきなり、超高速のソウル・ミュージックを演奏するんだから、それも、登場したと同時にステージ狭しとサックスを抱えたメンバーが動き回り、客を煽るんだから。

これで身体は、自然と暴力的になるに決まっている。

当然の事のように会場内のあちこちで、小競り合いが始まっていた。でもそんなことは”お構い無し”にバンドは客を煽り続ける。ギターにいたっては、弦が切れてもへっちゃら、ひたすら掻きむしるようにギターを弾いている。

ステージ前の小競り合いは次第に喧嘩になっていた。そうしたらいきなり、ボーカルが演奏を止め、客席に向かって「喧嘩している暇はない」と説教をしていた。そして次に演奏したのがOTIS REDDINGの『RESPECT』、本当に格好良い演奏で、”これがパンクだ!”って、本当にその時目覚めた。

アンコールを含めて約30分の演奏が終了した時、ギターの弦は2本しか残っていなかった。そして、観ていた僕の心は完全に打ちのめされていた。

当然、翌日ラフトレードで店にある最後の一枚(というより店員が持っていた)のDEXY'Sのデビューシングル『DANCE STANCE』を手に入れ、日本に持ち帰り、毎日毎日狂ったように聴いていたら、セカンドシングル『GENO』が全英ナンバー・ワンになっていた。そして待ちに待ったアルバムが7月に発売された。

それが、最強のアルバム『SEARCHIN' FOR THE YOUNG SOUL REBELS』だ。ジャケットの写真を見ただけで、ノックアウトされた。

内容は、言うまでない。本当に最強なのである。

レコードに針を落とした瞬間から最後のメッセージまで、38分間、ただただ興奮していれば良いのである。THE CLASHのファーストと同じように。

バンドとしては、この後いろいろな問題があったりして、音楽雑誌のインタビューは受けない代わりに意見広告をのせるといった行動をとったり、パンクそのもので共感していたら、次第に変化していった。でもそれは自然な流れだと思う。

この後は、『COME ON EILEEN』のヒットを出して、日本でも大人気になったから、みんな知っていると思う。だけど、僕の大好きなのとは少しだけファッションが違っている。

僕にとって、ライブを見てこれほど感動したのは、他にRORY GALLAGHER(1974年)とFRICTION(1978年)があるぐらいかもしれない。

そして僕にバンドをやらせようと思わせたのは”DEXY'S MIDNIGHT RUNNERS”このバンドしかない。

2002/3/24


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