第49回
”外道は豊田にやってきた”の巻


ついに出てしまいました!わが青春の1ページが。

なんたって、豊田でライブをやったロックバンドなんて”外道”以外ないと思ってしまうぐらい、物凄い衝撃だった。
ライブを観る為に、岡崎や名古屋に行かないといけなかった時代だっただけに、地元で爆音でロックを聴けるなんて、凄く嬉しかった。

当日は、豊田の高校生は全員集合状態で、「ロックが好き」と一口でも言おうものなら、その場で、チケットを買わないといけないような雰囲気が75年3月はただよっておりました。

なんたって、タイトルは”外道・ロック・パーティー”なんだから。

わが校では、パー券の押し売り状態でしたね。おそらく、他の高校でも同じだったと思う。何しろ、知っている連中は全員いたから。
もっとも、その前年の秋に外道は、当時の豊田市民ならば小学校にあがる時に”交通安全教育”を受ける場所である中央公民館でライブをやったので、”うわさのバンド”になっていたことも事実で、土曜日にあったそのライブの翌日には、みんなで”外道のワッペン”を作っていた。

だから、3月のライブは待ちに待ったと云う感じで、皆駆け付けました。
場所は、豊田警察裏の、豊田勤労福祉会館。まだできたてで、きれいな場所だったことをハッキリと覚えている。いまでも、あるけど、10年ぐらい行ったことがないなあ。

音の方は、はっきり云って覚えていません。ただ、先輩達と、同級生が盛り上げるのに苦労していたこととか、いつもは長いスカートをはいていた女子高生が、一生懸命ロックな格好をしていたこととか、音楽とはあまり関係ないことばかり覚えている。

で、今回出た音源を聴くと、またいろいろ思い出します。凄く本格的なロックバンドだったこととか、日本語でもやっぱり格好良くできること、とか、そんなことを思ったなあ。でも一番は、”鳥居”が格好良かったことに尽きると思う。これぞ、日本のバンドだ、と思った。DEEP PURPLEの回転灯なんかより、ずーっといかしていると思った。

まさか、そんな自分の中で、特別な位置にあるバンドと、30年後に、一緒にやることになるとは、夢にも思っていなかった。

と云うことで、今日は”1975野音狂のアロハ”の二枚目を聴きながら、ノスタルジーな気分になっているのでした。

2003/7/22

The原爆オナニーズのライブ予定は次の通り

7月27日(日) 名古屋 HUCK FINN
共:BORIS、GREEN MACHINE

8月23日(土) 大阪 FANDANGO
共:NIGHTMARE、あぶらなぶり、TECHNOCRACY、

8月24日(日) 名古屋 HUCK FINN
共:COBRA

9月6日(土) 東京 WALL
共:DECEMBER12、PAINTBOX、ガンフロンティア

9月13日(土) 京都 拾得
共:FeeBee´s、まねはね

9月27日(土) 名古屋 TOKUZO
共:あぶらだこ

10月4日(土) 東京 LA MAMA
共:ROCKY&THE SWEDEN、WARHEAD、BORIS、SLIGHT SLAPPERS