渡辺正 連載コラム#30

フジヤマで売ってないレコードたち。


archie shepp/blase (BYG/LP)

今じゃすっかり枯れていいオヤジなアーチー・シェップだが、昔は喧嘩腰のダーティトーンで凄かった。ただし音色が深いので喜怒哀楽が凡百な前衛まがいとは一味も二味も違って美しい瞬間がままある。

このレコードは'69パリでの録音。ヴォーカルの女性をフューチャーしアート・アンサンブル・オブ・シカゴのマラカイ・フェーバースとレスターボーイが共演している。それだけでも一筋縄ではいかないのにドラムに何故だかフィリー・ジョー・ジョーンズ。更に謎のハーモニカ奏者大活躍だ。要するにマイナリティな、実に黒人な音楽のるつぼ。ジャズもブルースも関係ないるつぼ。洗練とは無縁の佇まいを見せつつ、臭くならないのが謎だ。この謎はやはりシェップの音色にある。

深いのだ、一音一音が。

じゃあ、深いとはなんだろう、と考えた。怒りつつ、優しい。元気だが哀しい。こういった相反する感情を同時に聴かせる凄さではないだろうか。答えは一つではないのだ。必ず混沌とさせる凄さ。

それを、深いと云ってみたいのだ。

よく私の事を「面白い人だ」と言う人がいる。本当にそうか?自分じゃちっとも面白くなんかないと思ってる。よく私の事を「強い人だ」と言う人がいる。本当にそうか?自分じゃメソメソした情けない男だと思ってる。

さてさて、その私の実情はといえば、こうだ。

面白くないから、面白くしている。弱いから強くしている。ただそれだけかもしれない。

最近のアーチィ・シェップのふくよかな枯れ方を見ると、このレコードを出した頃の混沌に感情移入してしまう。

2002/2/20


コラムindexB.N.