「どーでも、どーでもいいけど」
ここんとこのエッセイを読めばあほでもわかるかもしれないが、私には珍しいほどの鬱気である。
以前からほとんどのことは「どーでもいい」と思っているが、ますますそういう思いが強い。
例えばDOLL別冊「パンク天国4」。この本を手にとって、書いているヤツも、掲載されている人間も、掲載のレコードの演奏者も、虚しくはないのか。
私はとほうもなく、虚しい。
こんな本ですら、かんじんな気持ちは書かれていないし、書かれている気持ちは、最低なくらい恥ずかしい。
ええかっこうしろというのではない。現実である。これが。それが虚しいのだ。
藤本義一が新聞のコラムで、アルコールや麻薬依存症を治療するには、自己の状況を憎悪し、完全否定するしかないと書いていた。
音楽とか、自分が生きていることとかもおんなじだ。
もっともっと、もっと否定する必要があるのだ。
ただ、今までさんざん否定してきて、まだ否定が足りないと自分で気がついて、ちょっとため息をついている。そんなところだ。
JOJO広重 2002.4.3.
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