第44回
「ギンギンに、ギンギン」
「所詮この世は男と女」とは、鶴田浩二の歌詞だった気がするが、まるでその通りで、それ以上のものではなかなかないところが、つらいところでもある。
コンビニはもうポルノショップのようだ。雑誌が並ぶコーナーは、誰でも手にとって見れる場所に、いわゆる「過激な」性描写をギンギンに並び立てたエロ雑誌が並び、少年誌のほとんども、全裸よりいやらしいビキニ姿のアイドルが巻頭をかざる。
こんな本を読むガキがまともに育つわけないじゃあねえか、と、思うが、電車内の携帯電話には目くじらをたてる連中も、こういったシチュエーションには無関心である。
雑誌売り場で、成人雑誌のエロ写真をこそこそとしゃがみ込んで眺めながら、股間をいじっている小学生を見つけた時は、なんともいえない気持ちである。
つまりは陰湿なのだ。そしてひ弱である、なんとも。
どうせなら、と、思う。例えば山上たつひこの「半田溶助・女狩り」「感電しますよ」に登場する半田溶助、新田たつおの「怪人アッカーマン」のアッカーマン。
こういったマンガに登場する「性欲の権化」のキャラクターが、なんのてらいもなく女性にせまる様は、けっして陰湿ではなく、むしろ馬鹿馬鹿しいまでの痛快さであり、そして性欲への後ろめたさをかっとばし、哀愁はもちろん、性=生のエネルギーに満ち満ちている。
半田溶助やアッカーマンこそ、もっともっと青少年に読まれるべきだし、青少年のチンポコはもっともっと怒張するべきなのだ。ギンギンと。
JOJO広重 2004.3.4.
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