ロックな雑誌「バリヤバ」編集長のくるくる松田のコラム新連載開始! 鼻毛。 鼻毛を抜いていると、とめどない。 だいたい、鼻毛を抜きたくなるときは、集中力が低下したときが多いから、精神が鼻毛に依存しているのかもしれないが、「鼻毛を抜く」という行為自体に、私は集中する。 鼻毛がよく抜けるよう、全身をもって鼻の穴を開けるよう努めて、ギュっと抜く。 そういうとき、きちんと期待通り鼻毛が抜けてくれると嬉しいし、また期待を裏切るような変わった鼻毛、複数の鼻毛、自己主張の強い鼻毛エトセトラが抜けてくれると、ちょっとした感慨がある。 「鼻毛を語るのであれば?根の能力についても評価されて然るべきだ」という向きもあるかもしれないが、私はあくまでも鼻毛。「アンタは毛根に興味があるかもしれないけど、私は鼻毛。毛のほうに興味があるんだよ」と言いたい。 理由は特にはないが、江戸っ子の粋みたいなものである。 ところで、一般に「鼻毛を抜くなんて汚い」「鼻毛は汚いものだ」とされる風潮があったりするわけだが、これに私は強い憤りを感じる。 私達、現代人にとっての至福のときというのは、たくさんありそうで、実はそんなにない。そういう意味において「鼻毛を抜く」という行為そのものは、ややもすれば地味に、下品に写るかもしれないわけだが、その実、とても哲学的であり、自分自身と向き合うことのできる、言葉本来の意味での至福。 そういう充実したときを過ごすことができるのもまた、鼻毛にしかできない芸当と言えよう。 最近、私はそういうことに気付き、自分自身の鼻毛一本一本に拍手したくなりながら、そしてまた鼻毛を、懲りずにまた一本、また一本と抜き続けるのであった。 |