”スージー&ザ・バンシーズ”の巻

2002年は「パンク25周年」ということで、本当にいろいろあったなあ。

自分も、本を買っちゃったり、結構、悪のりしていたんだけど、そんなこと全く考えずに、オリジナル・パンク・バンドの一つを観ていたことに、先日気がついた。

そのバンドは、『スージー&ザ・バンシーズ』。

なんたって、サマーソニックっていう、夏のイベントに突然出演したんだから。このイベントは、結構好きで、新しいバンドを気軽に見れるから、毎年行っているんだけど、まさか本当に来るとは思ってもいなかった。どうせ、一週間ぐらい前になったらキャンセルかなあ?の気持ちでいたし、元QUICKSANDのRIVAL SCHOOLSのほうがもっと観たかった、というのもある。

自分の中では、スージー&ザ・バンシーズは、解散宣言した時に”本当に終わった”っていう気持ちが凄く大きく、もう2度と観れない、と決めていただけに、観たことさえも、”幻だった”ような気持ちが大きい。

彼等は、私を2度も渡英させて、ライブを体験した、数少ないバンドの一つだからだ。

一度目は1980年12月に『KALEIDOSCOPE』発売後に、ロンドンの”ハマ−スミス・パレス”で、二度目は1982年の12月に『KISS IN A DREAM HOUSE』のツアーで、ロンドンの”ハマ−スミス・オデオン”で観ている。この2回のライブ体験は、レコードでは決して理解の出来ない、”空気”を体験したと言って良いだろう。

一度目は、革ジャンの背中に1STシングル発売時の自体で”スージー&ザ・バンシーズ”と書いた、オリジナル・パンクスが大挙して押し掛けていた。正直、この年の2月末にWIREのライブを観た時に、自分の中では、「オリジナルなパンクは終演を迎えたんだ」と、ライブを観ながら実感していただけに、その人数の多さに対する衝撃は大きかった。
理由はライブが始まった途端に理解できた。とくに、ギターのJOHN McGEOGHの良さは、”旬”のバンドにバンシーズを蘇らせていた。その音に素直に反応する、パンクスの格好の良さ。

「まだパンクは死んでいない、進化しているんだ」と感じることが出来たライブであり、こうなったら、とことん、この音楽について行ってやろうと決めたのも、この日のライブの存在が結構大きいものがある。

他にも、この当時に観た様々なバンド、今でいうところの”ポスト・パンク”バンドから受けた影響は物凄く大きい。

「パンクは一つのスタイルじゃないんだ」っていうところ。

音楽的に何でもありのおもしろさこそ、パンクだ。もちろん、CRASSの言っていた言葉も、パンクにとっ
て忘れてはいけないことを付け加えておくが、それは、別の機会に書きたい。

二度目に観た時は、ギターがTHE CUREのROBERT SMITHだった。弦楽四重奏を加えたりして、柔軟なスタイルを表現してくれた。

そして今回、サマーソニック。どう書いたらいいんだろう。以前観たスージー&ザ・バンシーズと比較してもしいのか?、分からない。でも、少なくとも、あの”セックス・ピストルズ”よりは、個人的には素直に観ることが出来たし、楽しむことが出来た。最後の曲「VOODOO DOLLY」を聴くことが出来た、それだけで、満足していたことは確かだ。

僕にとっての、「パンク25周年」は思わぬところで、実は体験していたことが発覚した。

じゃあ、また。

   追記                           

イギリスから帰って来た直後の12月22日(日)に元THE CLASHのJOE STRUMMERが犬の散歩から帰宅して直後に亡くなった。あまりのショックで、言葉がありません。
12月30日に元THE CLASHのメンバーも参列してロンドンの思い出の場所を周り、葬儀が行われたらしいです。

僕にとってTHE CLASHは、1977年、パンク宣言のレコード聴いて以来、大好きなバンドであり続けている。おそらく、これからもずーっと。

2003/1/5

 

☆☆☆パンクでぶっとばせ LIVE ☆☆☆

1/25(sat)pm7:00 渋谷ラ・ママ 出演 the原爆オナニーズ/DESSERT/NAHT