「豚の話」
どうでもいい話をしようと思う。
何となく面白そうなんだけど話すタイミングがなくて脳髄のなかずっと収納している無駄話を引きずり出してみよう。
実家の、一戸建て。千葉の広大な農村地帯、最近はベッドタウンと化しているその街。今ではただの住宅なのだけど、裏の家は私が高校生のころまで養豚場だった。
ここの家に幼少の頃はよく遊びに行って、豚を見ていた。近くで見るとなかなか剛毛の動物だった。後々、その毛が高級歯ブラシになるのを知った。
えーっと、中学生のころだったか。朝、家で飼っている犬がやたらと吠える。
はて? 来客だろうか。
ぼんやりした眼差しできょろきょろしていると、今度は飼っている数匹の猫の異変に気がついた。みんな妙に身体が膨らんでいる。毛が逆立っているのだ。静電気が全身を貫いたかのその姿。
「どうしたどうした」とそのなかの一匹を抱えて、窓を開けて庭を見る。
豚がいた。
うちの花壇のチューリップ喰っていた。また猫が咆哮する。
私はしばらく固まっていた。寝起きだというのに、ついさっきまで自分が見ていた凡庸な、捨てられてベコベコになってるエロ本程度の淫夢よりも夢みたいだった。こりゃあ犬だって吠えるよ。
大慌てで表に出る。まさか自分の人生で、豚と一騎打ちをする機会が訪れるとは。
手には何故か靴べらが握られていた。それが適切な武器と思ったのだろうか。人間、冷静さを欠くと非常にうすらトンカチである。
「おいっ! おいっ!」
別にパンクのライブではないのだけど、呼びかけるようにジワジワとその巨体に近付く。向こうは私に気がついたらしく、小走りにどこかに行ってしまった。
逃げる、というものではなく、面倒くさそうにひょこひょことどこか行く感じ。私は敵として認められなかったらしい。
自由を手に入れた豚は、全く失礼な動物だ。
とりあえずわが家からそいつは消えた。騒ぎに気がつき目覚めてきた親に事件の顛末を話した。裏の家の人は何とか逃亡者を捕まえられたらしい。やれやれ。その日の夕方にウチに謝りに来たらしいが、私は学校にいたので知らない。
しかし豚というのは、いや家畜というのが自由自在になっている状況というのは恐ろしいものだな。私たちは知らず知らずに彼らを檻の中にいて当たり前、と思っているのだろう。だから自由に動かれると、恐怖が増す。
家畜だって本来は野生の生き物なのだ。彼らは彼らのために生きているのであって、我々に食料になるために生きているのではないのだ。
人間と動物を一緒にするのは不謹慎かと思うが、黒人奴隷の暴動の時に白人が感じた恐怖もこれと非常に似たものなのだろうな。いやそれ以上の、もっと凄まじい恐怖。 自分の自由に動くと思っていたものが動かなくなり、そいつらが自由を手に入れるというのは規模の大小こそあれ、怖い。
その考えの善悪は分からないけど、そういう感情が存在していることは事実だ。
しかし豚ってなあ。自分は『あしたのジョー』のジョーが豚に乗って少年院を脱走しようとするシーンを何となく思い出した。あおい輝彦の声で「やっほー」とかって。
違うかな?
2002/1/17
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