diary 2001  (c) fujiyama


 

DIARY 2001        6     7     8     9     10     11     12     2002 d i a r y

text  by  T A D A S H I    W A T A N A B E  ( record shop F U J I Y A M A ) 


2001年(平成13年)12月

my favorite/ロトチェンコ

12月26日(水)
嘔吐及び寒気で寝てたら、尾野寺に起こされた。助かったぞ、ありがとう。

12月25日(火)
春日部の施設にいる母のところで、世間話。母が自分の事を「おかあちゃん」と言う。そんな言い方は今まで聞いた事が無かった。私が子供の頃から母は自分の事を「かあさん」と言っていた。どんどん自分が何者かが分からなくなっていくのだろう、頑張れ母。

12月24日(月)
「EAR」でDJ頼まれていたのに、熟睡してしまい、起きたら昼の3時。トモナオ君ごめん。反省。

12月23日(日)
しみチャンと清水嫁んちでクリスマスパーティ。ところが埼玉の坂戸だから、遠いぞ。単車もつか?40キロぐらいで休み休み行こう、そう決めた。川越の手前で妙な古道具屋発見。プレゼント交換つうのをやるので、ここで物色。ありましたよ、凄いの。「江戸っ子ピンチ」。アルミのよくある洗濯バサミなんだけど、かなり小さくてアート色たっぷり。しかも纏を振る江戸時代の火消しがイラストされている、古POPな藍色のインクもいい感じ。ワンセット千円。凡人が見たら高い買い物だろうが、嗜好というものの価値値段は、その人のセンスによって決まるものなのだ、私は、いいプレゼントだと確信した、場も盛り上がりそうだし。この「江戸っ子ピンチ」で30分は話題ができる。しかし、ピンチは単なるピンチだから、保険に可愛い陶器のうさぎの置物も買った。この二品で喜んでもらえる筈だ、そう思った。ルンルン(懐かしいぞ、このフレーズ)でパーティ参加。そして、スカ。あみだくじで私の「江戸っ子ピンチ+置物」をゲットする事になった男の子に気に入ってもらえない。挙句、私が撮影で使おうと思って、一緒に買った金属性のペーパーウエイトの方がいいから、それを下さいとぬかしやがった。たいした知り合いでもないから、気を使って応じたが、まるで旧知の友達なら分かるが、1年前に1回会っただけの、名前もしらんヤツだ。アホだこいつ。パーテイを楽しくするルールをわかっていない。たとえ気に入らなくても、そのくだらんプレゼントのどこがいいのか私に聞くべきだ。悪意があって用意した訳じゃない、オレは美しく笑えたのだ、「江戸っ子ピンチ」。それを選んだ私のセンスをサカナにパーテイ盛り上がるべきじゃないか。パーティべたな男の子。その後もこのアホのぐだぐだしたデリカシー皆無の質問に付き合って疲れた。知り合いだったら殴ってる。

12月22日(土)
夜9時に店を閉めて、渋谷ラ・ママへ。殺害塩化ビニールと弁天の恒例X'MASジョイントライブ。ラ・ママでモンチ(密売KGYダビッドソンb)と久しぶりの再会、元気そう。バンドの方も加賀谷君(密売KGYダビッドソンvo)も復帰して今日ライブしたそう、見たかった。加賀谷君は漫才の松本ハウスの方はどうなんだろう、再開したのかな、貴重なキャラなので、どんどん露出してほしいな。会場に入ったらトリのQPクレイジー。クレイジーSKBがドラムセットの上に蛍光管束ねたやつ置いて、あろう事かそこに本人ダイブしてた。ライブ後クレイジー君の言いぐさがいい「やってること変わんないです(笑)」。

12月21日(金)
単車のスプロケットを替えたりして、ましに走れるようにするが、それにしても店に客が来ません。夜10時頃にボンバー君が来て、某AV女優の写真集をぶんか社で作るにあたってのカメラマンをやってくれないか、という仕事の相談を受ける。でも年内にという話。そりゃ無理だわ。なんでも女優が予定したカメラマンにNG出したそうで、いやはや。

12月20日(木)
どうしたんだろう、客が来ない。

12月19日(水)
今年中にアパートを出なければいけないが、いい物件がなさそうで辛い。

12月18日(火)
不思議な夢を見た。でも思い出せない。とにかく、不思議だという事だけが頭に残ってる。なんの夢なのか、知りたいが、とにかく分からない。人の脳みそというのは分からないことだらけだ。

12月17日(月)
寝込む。

12月16日(日)
早起きして「MOMA展」。デュシャンの油が良かった、額縁も良かった。絵画の大家ばかりの展覧会の場合は額縁と絵の相性しか見ないことにしている。いい額だった、仏壇みたいで。ポロックの絵にガラスを張った額装があったが、ポロックは裸のまま展示して欲しい。偉そうにしてはいけないような気がする、この頃の絵は。マチスの作品が随分とあったが、歳とともに好きになるであろう侘び寂びの画風なのだが、私は歳を重ねるごとに嫌いになってゆく。しかし、絵は見るもんじゃなくて描くものだと、いつも展覧会に行くと痛感する。

12月15日(土)
昔はよく来てくれていた山本君が、ひょっこり来る。オートモッドなどのCDを買ってくれて嬉しかったが、それよりも、本人が凄く太っちゃっていたので、はじめは誰だかわからなかったよ。びっくりした。the原爆オナニーズのライブなどでよく見かけたが、「その巨体じゃダイブできないじゃん」と愛情込めて言うと、「死にますよ!」と苦笑いされてしまった。余計な事言ってしまったかな....。
深夜にライスメンのレイカが来る、なんでもヘヴンスでライブだったらしい、実はこの企画に参加する筈だった私、忘れてました。すまん。
 
12月14日(金)
岩崎君(赤色102号)からジタン一個貰う。

12月13日(木)
雨。それは悲しい。

12月12日(水)
店のストーブの灯油が切れた!凍えそう。でも今日は通販の梱包作業をこれからするのだ!深夜1時過ぎだというのに......。今日は通販の催促電話が4本もかかって来てお客にプレッシャーかけられたりして辛い。辛いといえば田代まさし!盗撮のほとぼりがさめたと思ったら、覗きで捕まる!その上覚醒剤所持の現行犯逮捕。田園調布なんかに住むからだ。川崎でいいのに。 

12月11日(火)
母がまた施設に戻ってしまい会えず。仕方ないので単車のエンジン下ろして整備。といってもろくな工具もなく、左手もよく動かないので大変だ。整備といってもエンジンの仕組みがよく分からないので、ばらしたエンジンとクランクケースをひたすら洗浄。一度ばらしてみたかったので、いい機会。おかげで仕組みが大体分かった。よく出来ているなぁ、さすが世界のホンダ。7万キロも走ってきた単車なので廃車覚悟でばらしてみたが、組み直してエンジンかけてみたら走る。でも、なぜだかボルトが1本残ったままだ。どこにはめるのか....が分からないまま、まいいか。走るし。

12月10日(月)
越谷で単車のエンジンが焼きついて、ついに動かず。近くにバイク屋もなく、仕方なくコンビニでオイル買ってファミレスの駐車場でオイル交換してコーヒーブレーク。エンジンも冷めてきた頃駆けてみたとこ、かぼそくエンジンに火が入る。30キロぐらいしか出ないがなんとか走る。深夜に母のところに着いたが、どっと疲れる。 

12月9日(日)
日曜日だというのに、客が来ない。笑うぜ!

12月8日(土)
ひょんな事から10インチ盤レコードにえらく心奪われてしまい、ここ数週間で捨て値の安いクラシックばかり50枚ほど買ってしまい、どうせならクラシックな専用のラックに収めたくなり、店の前でラックを作ってたら、プロレスラーのルー・テーズに似た酔った外国人が「ワオ!」とか言いながら私に話しかけてくる。あたしゃ今ラック作成に燃えてんだから話かけんな!と密かに思ってたが、ダメ、どんどんしゃべってくる。なんの店だ!なにやってんだ!改装か!フランク・シナトラはあるか!もう面倒臭くなってきて適当に答えてたら、この燃えてる状態の私に、テロをどう思う?ってシリアスな事を酔っ払いハゲのルー・テーズが聞いてきたので「ファッキンタリバン!ファッキンUSA!ファッキンルー・テーズ!アイム蝶野!」とわけ分かんない事叫ぶと、さすがにルー・テーズすごすごどっかへ行っちゃいました。

12月7日(金)
昔、原爆オナニーズのライブの打ち上げで私が描いた絵をもらったという山梨の岡本さんという人が来店してラビッツのCDと、ふざけた「ただしくんフィギュア」を買ってくれた。ありがたい。どうでもいいが、酒の席で絵なんか描いてたのかオレ。岡本さんは、今は遠藤みちろうのホームページを作ってるという。昔話をちょっとばかりしたけど、お客さんに話しかけられるのも最近めったにないので、嬉しかった。

12月6日(木)
従兄弟の孝一あんちゃんが癌で亡くなった。オーディオマニアで、マッキントッシュの真空管アンプとアルテックの大型スピーカーにホーンツイーターも接続していたように記憶しているその自慢のセットで、テデイ・ウイルソンのレコードを聴かせてもらったのは私が10代始めの頃だった。あのテデイ・ウイルソンのピアノでジャズが好きになったのを思い出す。いつも笑わせてばかりいた孝一あんちゃん。合掌。

12月5日(水)
通販で為替を送ってきていた女の子がわざわざ来店。その商品を買ってくれたが、あまりに発送が遅いので待ちきれずに、来てしまったのだろうか。ごめんね、と一言言うのを忘れてしまった。

12月4日(火)
福島に住む、いとこの叔父が癌で余命いくばくもないと聞く。冗談好きの楽しい叔父さんだっただけに、ちょっとこたえた。母が調子悪くなってから頻繁に家族と会うようになったが、私は20代から最近まで家族に全然会ってなかったから、ここのところ普通の人の生活や付き合いというものがなんとなく分かってきた。慣れてないから大変は大変なんだけど、良くも悪くも新鮮だ。

12月3日(月)
単車がとうとう寿命なのか、エンジンまでおかしくなってきた。困ったな、エンジンは、私、直せない。母のところに行くまで半日かかってしまうありさま。母はヨタヨタだけど歩けるようになった。施設で流れている民謡に会わせて歌を唄ってた。母の歌は子供の頃から好きだった。細々だが母も単車も頑張っている。
同じ施設にいる知らない爺さんにその爺さんの息子と間違えられて説教されたが、他人孝行だと思って「ハイ、ハイ」と、その息子に成りすませて聞いていたが、どうやらその息子さんは夫婦仲が悪いらしく、もっと女房に優しくしてやらなきゃダメだと、さんざん意見される。「うん、わかったよ」と、告げると「これ、キリコさんに渡してやれ」と、自分が食事中の手にしていたスプーンを手渡されるが、どういう意味かわからないが受け取った。人それぞれ色々な人生がある。

12月2日(日)
しみちゃんと清水嫁が久しぶりに来店。去年の12月のクリスマスプレゼントで彼らに貰ったこのパソコン。何も解からず始めたが、ホームページも3月に立ち上げて、やっと慣れてきた。お礼になにかしたいが、今日もメシご馳走になってしまった。私は人に助けられて生きている。

12月1日(土)
禁煙2日目だったのだが気が狂いそうになったので、あえなく解除と決定。しかし、よく出来たもので、お金がないため煙草買えず。だから禁煙中。なんと後ろ向きな禁煙なのだろう。ところで、ジョージ・ハリソンが死んだが、なんの感慨もない。雅子さんの出産の方が気がかり。でも、それより煙草が吸いたい。

2001年(平成13年)11月

my favorite/銭湯

11月30日(金)
女の子が来て「ブランキージェットシティの達也さんがここでバイトしてたって聞いたんですけど、本当ですか?」というので「はい」と答えると、「凄いですね」という。なにが?みんな同じ人間じゃないか、凄くもなんともないですよ。そんな事より、なんか買って!

11月29日(木)
尾野寺君来店。彼の自主新録CD「モンキーキング」3枚納品。まだ聴いていないが呑気にハマルだろう、きっと。暫く、人に会っていなかったので、嬉しくて、彼を誘って淡島通りのレコード屋「月光社」へ。クラシックの歌曲が欲しかった(しかも300円ぐらいで)ので、そのことを伝えると「月光社」ならありそうだと云うことになったのだ。でもここで買ったのは、クラシックな石像の置物。またへんな買い物をしてしまった。まあいい、今の私のマイブームは「クラシック」なので・・・・。 

11月16日(金)
常連客の森本君が「宮沢正一」のCDや「花髑髏オムニバス」のカセットを買ってくれた。彼はこの間までは可愛い少年だった様な気がしたけど、すっかり大人顔になって好青年の雰囲気。ふと思ったが、こうやって少年少女は知らぬ間に大人になってゆく、フジヤマもずいぶんと永く営業してるなぁ.....と、思いました、マル。

11月15日(木)
太子堂の「サムタイム」という古本屋さんで「the selection of the dictionary」(邦題:日本音楽選曲家協会人名辞典)という本を見つけた。桑原茂一を筆頭に川勝さんの名前もあったので買う。推薦レコードを各会員が紹介している、ま、人名辞典に名を借りたカタログ本なんだけど、その切り口がおもしろい。本の装丁もハードカバーの英国辞書みたいでセンスのいいフェイクになっている。レコードが好きな人達の作る、ちょっと嬉しい本。巻末のレコード・ショップ・リストに「フジヤマ」の名前も載ってたが、ありがたい事です。
ところで、選曲家協会という存在も初めて知った。作曲家とか音楽家とかの、これもフェイクなのかなあ。

11月14日(水)
昨日の夜、写真の引き伸ばし作業をして徹夜。起きたら夜。夜昼狂ってる。

11月13日(火)
目が覚めたら夕方。徹夜で直したプレーヤーで「アート・ベアーズ」と「コントーションズ」を聴く。でもなんかこの実家の部屋と、ここ杉戸という場所が音に合っていない、ピッタシこない。音楽ってそういうものかも知れない。試しにCDでブラームスなんか聴いてみたら、程よく良い感じ。そうか、この部屋はクラシックなんだ。現代都市の音楽じゃないんだ、ここ。その場その場にシンクロするものっていうのは、確かにあるもんなんだと痛切。額縁をばらして自作したプレーヤーも蓄音機デザインだしなぁ。しかもターンテーブルのレコードを乗せる回転台は10インチしかないシロモノ。本体をベージュに塗ったから安っぽい「ガラード301」みたいだけど、どっちにしても古い感じだ。それじゃあ、ってんで母の面会を済ませた後、春日部の中古レコード屋に行きルービンシュタインのショパン曲集なんてもの買ってしまう。しかも10インチ盤。ターンテーブルにきっちり収まるサイズで気持ちいい。よくよく見たら、この10インチというサイズが気に入った。大きくもなく、小さすぎもせず、12インチ盤とほぼ同じ収録時間だし。なんか新しい手触りで、はまりそう。実家のレコード鑑賞は10インチに決めた!訳もなく嬉しい。ジャズのブルーノートも10インチ盤再発してたしなあ・・・。ジャケットデザインもいかしてるものが多い。さて、ところで10インチ盤なんて何処へ行ったら買えるのかなあ。ま、新たな楽しみ発見。

11月12日(月)
実家でレコードがどうしても聴きたくて、プレーヤーをセッテイングしてたら、自作したボックスのへりにアームが途中で引っかかって先に進まない。寸法間違い。夜中にのこぎりやカッターで修繕してたら朝になってしまった。こんな徹夜なら楽しくていい。

11月11日(日)
大阪からギューンの須原君がヰタ・セクスアリスと共にライブとの事で、高円寺20000Vへ。着いたらもうヰタ・セクも須原君も終わっていて、ギューンからCDを出した「ブラン」が演奏してた。女の子のベースがいい味出してたが、私はヰタ・セクを聴きたかったので気合入らず。こんな時、知らないバンドでも「おいおい・・・・凄い事になってるな、見てみっか」というライブハウス特有の現象が、よくあったもんだけど、今日の「ブラン」というバンドは落ち着いた佇まいで実に調和がとれた感じ。最近はこういう70点のバンドが多い。いい事なのか、問題だな。ライブハウスも安全な場所になって久しい。
店でやり残した仕事があるので、須原君、苗ちゃん、といった関西勢に挨拶して早々に帰る。

11月10日(土)
店に無言電話、連続5件。イライラする。

11月9日(金)
苗ちゃんからメールが届いていた。やった!PC直っている。嬉しい事はそれだけの一日。

11月8日(木)
うけちゃんが来たのでカラードライスメンのTシャツを無理やり買わせた。今日も売上が悪いからいい災難だと思って押し売りだ。うけちゃん可哀想。

11月7日(水)
寒い、ストーブ出さなきゃ。店では寒い上に客まで来ない。PCのチェックの意味で、メールを色々な人に出してみたが返事が来ない。やはり[OUT LOOK]ダメなのかなあ。この間までは出せも出来なかったから。やっと、出せてはいるんだけどなあ、とりあえず。もしかして、返事がきているのだけど又消えてしまっているのだろうか。嫌になるな、こういうの。PCに「桶狭間ぴんこ」なんて、ふざけた名前を付けてしまった事へのPCの反逆なんだろうか。

11月6日(火)
よく立ち寄る春日部のリサイクルショップで古いムードミュージックのシングル盤を買う。100円。コーティングされたジャケットには白人女性の艶っぽいネグリジェ姿。国内発売されたデッカ盤。この頃の色調が好きだ。曖昧な色製版は今となっては出せない味である。こういう昭和20年代の素敵なジャケットを見ると製版技術の向上は果たして良い事なのか疑問に思う。

11月5日(月)
メジャーのワールドシリーズ「ヤンキースVSダイアモンドバックス」最終戦をTV観戦しようと深夜起きてたがTV開始もうちょいのところで寝てしまう。目が覚めたら終わってた。悲しい。

11月4日(日)
秋葉原でレコードのプレーヤーが1800円で売ってたので買う。さすがに安いだけあってターンテーブルは波打って回るし、45回転は動かないし、あれこれ修理調整、コンピューターのない機械式はいい、見たら構造が分かるし、自分で直せるもん。夜10時頃、お客さんが来なくなったところでチェックの意味で「想い出波止場」のアナログ盤を掛けてみたらまずまずの音が出ます、でも随分痩せた音です、1800円。お金が出来たらカートリッジをそこそこのものを買おうっと。とりあえず本体だけなので箱を作らなければならないので近所の廃材を探したが適当な木材がない。材木屋で買うのも金がないから思案したが、使ってない絵の額縁があったのでバラして組み立てた。いい感じの花の木彫がしてあって出来上がったプレーヤーの感じは手回し式のSP蓄音機みたいでなかなかに風情がある。バッハでも掛けたくなるがあいにくクラシックのレコードなんてかけませんよ、わたし。ウエイン・カウンティとかジョン・スペンサーですよ、やっぱ。
明日は杉戸の母に会って、実家で自作プレーヤーの色塗りするんだ、そしたら完璧だ。実家でもレコードが聴ける、ささやかな楽しみだ。

11月3日(土)
雨だというのに島根からわざわざ来てくれた高校生、「じゃがたら」やら「灰野敬二」のCDを2万円も買ってくれたが、フジヤマに来る前に高円寺のいろんなショップにも行ってきたとの事。17歳にして随分渋い買い物をするものだと思ったが、若い時はひとつの事に熱中する時期だという事を思い出して、自分もそうだったなぁ...と感慨深かった。丁度、店で「ノンバンド」や「ほぶらきん」のビデオを流していたら、その彼ニッコリしながら何気なく見ていたのがいい感じ。なにもなかったように、そして当たり前のように20年も前の「愛すべき音楽」をこれ見よがしでなく、ごく普通に流してるのが粋だと思ってるんだけど。

11月2日(金)
昨日の夜、PCの着信メールが消えてしまう事故があり朝方までアレコレいじっていたが直らずションボリ。

11月1日(木)
「デフマスターのCDありますか?」とお客さんにきかれて、探しもしないでいい加減な記憶で「ないですねェ」なんて返事した数分後、そのお客さんはなんと探し出したデフマスターのCDをレジに差し出した。ごめんね、アンポンタンで。ここのところ、つり銭間違えてしまって大損したり、待ち合わせで約束の場所を思い出せなかったりで頭アンポンタン。店で、なにやっていいんだか戸惑ったりで、いったいどうしたんだろうボク。

2001年(平成13年)10月

my favorite/シュタインハイルの小型雲台

10月31日(水)
街に日の丸の旗が立てられている、今日は何の日なんだろう。
トモナオ君が来店したが、暫く見ないうちにもの凄い髭ズラになっていたのでビックリ。私は私で清水嫁に髪の毛カットしてもらって「いけてない女子高生」みたいなヘアースタイルになってるが、これはこれで結構気にいってる。

10月30日(火)
母がリハビリしている老人看護センターへ見舞いがてら面会。暫く話をするが、つじつまの合わぬ会話が続く。いきなり「学校の帰りか?」と言われた時は寂しくなったが、「うん」と答えたら、「そうか」と返事されて続く言葉が見つからない。ヘルパーのお姉さんと世間話しつつ母の様子を尋ねてみたが、最近は落ち着いてるとの事で一安心。今は車椅子の生活だけど、早く直るように歩行リハビリしている老人を見ると切なくなってしまい、いったんセンターを出て春日部のレコード屋に行ってチャイコフスキーの「白鳥の湖」なんてこれまたベタに切ないものを買ってしまった。2時間程して戻ると母は食事していたが、ガンガン喰ってる。ほっぺたにご飯粒をつけたまま、ガンガン喰ってる。「ご飯付いてるよ」と言って取ってあげたら、照れ笑いした。可愛いと思った。

10月29日(月)
バイクが何者かにいたずらされてチェーンを切られる。もう(怒)。

10月23日(火)
サーファーズオブロマンチカの宮原君からファックスでフジヤマHP用の原稿が入っていたので夜中に店までヨタヨタ歩いてアップする。PCに苗ちゃんの原稿もあったのでまとめてアップした。30分ぐらいで出来る事が2時間もかかってしまう。腹へった。

10月16日(火)
目が覚めたら夕方で、雨が降っていた。体の関節という関節全部ギシギシいっていて痛い。店を休んでしまったのが辛い。夜10時にふとんから出てレイジ・アゲンストのセカンドを聴くが体力がついていかずにフィービー・スノウの1stを掛けて落ち着く。

10月15日(月)
昨日から徹夜で通販の梱包作業を店の外でやって風邪ひいたみたい。昼前にやっとの事で郵便局にまとめて持っていき、ヘロヘロのままアパートへ。バンドの「BIG PINK」かけて横になったら寝てしまった。気がついたらぼんやりした耳にレコードのブッ、ブッ、ブッ、という終わってるノイズが聴こえているが起きる気力もなく、鼻水たらしたまま仮死状態。

10月14日(日)
夜、サーファーズオブロマンチカの宮原君が来たので、またまた今キテルヤングなロックは何かを尋ねたがマリリン・マンソンとの答え。聞く相手がまずかった。

10月13日(土)
尾野寺君が久しぶりに来店。なんでもバイクのエンジンが焼きついたとかで、しばらく動けなかったそう。私のバイクも気をつけよう、彼の愛車より年式古いし。リットー・ミュージックに勤める友人の岸君も来たので最近のロック事情を聞いたが寂しい顔になった。「インディーズマガジン」が廃刊になるらしいし....。私は最近のヤングな音楽が知りたくて「ビースティボーイズ」や「レッドホット」みたいなやつで今はコレ!っつうのない?と尋ねるが思い浮かばないとの事。だめだなロック。でも、おそらく潜んでメチャかっこいい奴はロックしてんだろう、いつの時代もそうだ。

10月12日(金)
ヘブンスドアの堀さんに道でバッタリ。鼻と耳がおかしくて病院帰りだという。どいつもこいつも病人だらけだ、私のまわり。

10月11日(木)
なんかいっぺんに宅配便が届いてパニック。イーターの地引さんからラジオの出演交渉受けていたが、肝心のラジオ番組がつぶれてしまったとの電話。トホホですね、全く。

10月10日(水)
立川に行ったついでに吉祥寺のジャズ喫茶「A&F」によってみる。しかしこの店の音はいつもいいな。感心する。ロイ・ヘインズとデイブ・ホランドの最近のものが掛かっていたけど、久しぶりに落ち着いた。

10月9日(火)
仙台でのレコードショーの帰りだといって北嶋君(ししょう)がわざわざフジヤマに寄ってくれた。なぜかここんとこラモーンズの1stが聞きたくて「○か×」(彼が勤めている大阪のレコード店)に在庫あるかどうか聞いてみたら「調べてみます」との事。○×もフジヤマも在庫の整理が大変なんだろう.....と、即答できないあたりにニガ笑い。 

10月8日(月)
遂に戦争になったのね。21世紀は腕力で解決出来ないように思うんだけど。

10月7日(日)
とりあえずは店のカウンターの上を整理だ。もう山となってるから大変だ。取り置きの商品も、売ったままの残骸!も、ひとまず外に出してしまう事にして、ああだこうだしてたらお客さんがどんどん来て、やりっぱなしのまま・・・。なにかやり始めると、普段全く暇な店の筈なのに、お客さんが来る、こんな時に限って。早くお客さんをちゃんと迎えられる状態に戻したいのに全然ダメだ、もう。
しばらくメールもチェックできなかったから、PCの前で、さてと思ったが何だか怖くて開けず(笑)。随分来てるんだろうなぁ・・・と、思うと嬉しいを通り越して怖い。まず溜まった返事が先だし・・・。ああもうノイローゼ気味。明日は明日で色々やる事があるし、世間は勢いにまかせての戦争が起きそうだし、なんとかならんかな。今、夜の9時だけど、さてこれから通販の整理して梱包作業しよう。徹夜か?左手言う事きかないんだから勘弁して欲しいよ、全く。 

10月6日(土)
少し落ち着いた。夕方から店を開ける。少しずつだが元の生活に戻そう。

2001年(平成13年)9月

my favorite/妙なお土産こけし

9月18日(火)
母の見舞い。一言二言会話。悲しそうな母。

9月17日(月)
イーターの地引さん宅で小休止。地引さんと南波さんがパーソナリティになってラジオ番組を始めるとの事。チューナーを買わなければ聴けない衛星放送だそうだけど、いろいろ頑張っててうらやましい。昔ラジオ短波で地引さんと森脇さんと私の三人でやってた音楽番組を思い出すねぇ........と、二人で苦笑い。

9月16日(日)
ナベちゃんが来てシーミールの新譜CD納品。バッジとステッカーも付けて売ってくれと、嬉しい事いってくれて一緒に受け取る。
そうこうしてるうちに、さいとうみわこさんが詩集を持ってやって来た。「希望について」とタイトルの付いた可愛い本(¥480税抜)で彼女がいきなり「また脱いでしまいました!」と、元気いっぱい。以前のアルバムでバスタブに全裸のジャケットをリリースしていたのを私はよーく知っているので、私の顔を見るなり大声でそう言って二人で笑ってしまった。いいなあ、女性は元気で。彼女の詩集の中に確かにヌードはあったけど、いい写真。八木康夫さんが撮ったレコードジャケットのヌードも良かったし、いい写真ばかりで羨ましい。

9月15日(土)
ダウン。

9月14日(金)
明け方まで通販メールの返送。やっと100通出した!もう死にそう。あと100通位あるけど、2,3日で出し終えそうなとこまできた。それにしても、取り置きを整理するのが大変だ。早く余裕を持ちたい、仕事にならないもん、こんな調子じゃ。

9月13日(木)
こんなに仕事してんのに全然客来ない。来るのは通販催促の電話ばかり。一人でホームページ作って、通販のあれこれやって、勿論店頭で売り子やって、帳簿つけて、ってもう無理なのかも知れない。といって人雇えるわけはないし。昔みたいに店に来るお客さんだけで、のんびり仕事したい。忙しいからって売れてるわけじゃないから、悲しくなる。

9月12日(水)
まるで映画のワンシーンのようにNY高層ビルに旅客機突っ込む。対米テロ。20世紀は戦争の歴史だったけど、21世紀もそうなのか。しかもテロだから、日本の古武道のように自ら名乗っての蛮行ではない。相手知らず。持つものと持たざるもの、の戦い。分かり易い論理で正義を語っても戦いは終わらない。実は、ふりかざす正義はこの世に一つしかない訳じゃなくて、人の数だけ存在する、と思い知る。

9月11日(火)
埼玉の春日部市立病院へ、母の容態を見に。今日はだいぶ痛いらしく、苦しそう。腰に鉄板埋め込んでんだから、痛い日もあるでしょう。私の手や肩の痛さなんて、そんな母の前では弱音吐けず。ところで、遂に母は私の名前を思い出せなくなってしまった。でも息子である事は、分かってるみたいで、それならそれで、いい。もう、ああだこうだ言うのは止めにした。母の思っている事を否定するのは、お互い疲れる。

9月10日(月)
台風なのか......知らなかった。もの凄い雨の中、病院へ薬を貰いに行って、ちょっとばかり診て貰う。せっかく来たんだから、だいぶ診てもらいたいんだけど、軽くあしらわれる感じで拍子ぬけ。痛いんだけどなぁ、だいぶ。

9月9日(日)
しみちゃんと清水嫁とで世田谷通りの「東京餃子楼」でご飯。ここの、もやしが大好きなので満足。もやしにかかっている、ひき肉入りの汁をご飯にかけて下品に食うのが私の流儀。カメラを直してあげた、その御礼に、おごってくれるというので、水餃子と焼餃子ダブルで食す。勿論オプションで、もやしも頼んだのは言うまでもない。

9月8日(土)
やること多すぎて店の事が手につかない。しかも外は雨。今日来ると言っていた、しみちゃん達は来ないし、メールの返事30通出して、HPを整理してたら夜9時をまわってる、片手でキーボードを打つのも疲れる。怪我早く直んないと、とんでもないことになりそうで嫌になる。商品出しもままならぬ状態。朝考えている一日の計画が、思いどうりにいかない毎日にイライラ。青森からわざわざ来店してくだっさったお客さんもいて、今のフジヤマの店内カオス状態を恥ずかしく思う。

2001年(平成13年)8月

my favorite/クロンボこけし

8月31日(金)
日記が苦痛。意味もないし、つまんない。

8月30日(木)
フジヤマ、眠りからさめる。

8月20日(月)
しみちゃんから頼まれたカメラの修理で1日終わる。
 
8月19日(日)
今日こそ店の在庫出しをしようと意気込んでいたのに、ホームページの作成で、せっかく作った4ページを保存し忘れていてアップ出来ず、もいちど、一から作り直しだと思うと溜息。
気が付いたら、深夜になってしまい、作る気力もなく、在庫出しもHPの作り直しもやらずに、溜まりに溜まったメールの返事を古い順に20通書いたところで気力の矢が折れて、ぐったりしつつ帰る。せっかくメールを送ってくれてるお客さん、ごめんなさいね。もうちょっと待っててね。まだまだ返事も出し終えないし、在庫も店頭に並ばない、パソコンに振り回されてるオヤジひとり、店は暇だというのになぜ仕事が先に進まないのか落胆の深夜。

8月18日(土)
7時で店を閉めて二子玉川の花火見物。車を停める場所がないので瀬田の「川治の湯」という温泉から花火見物。ゆるい温泉で肌はすべすべになったが、だるくだらけてしまって疲れが一気に噴出す。なんだか慰安旅行に行ったみたい。

8月17日(金)
原爆とシーミールのCDと雑誌「イーター」を買ってくれた茶髪君が「フジヤマのHPはとても良いですね」と言ってくれたので今日一日嬉しい気分でした。お客さんから初めてHPを誉められた。必死で作ってるから、なにか少し報われた気分になった、女の子だったら抱きついちゃうとこだけど(笑)。落ち込んでる時の優しさは、それが何気なくても勇気づけられるものです。恋と一緒だ。

8月16日(木)
夜、お客さんに町田町蔵で良いのを教えてくれと言われて困った。「腹ふり」がバンドとしても完成度が高いので薦めたが、あやふやなまま、買ってもらえず。その人にとって「良いモノ」がなんなのかが伝わってこなければ希望どうりにはいかないので、こういう漠然とした質問はいつも困ってしまう。私の趣味でいいなら「腹ふり」で決まりなんだけど、強くは勧められない、音楽は個人のものだから。そんな良心を大事にしてるからいつまでたっても売上がのびない。そして廃盤になってから内容に関係なくあせって探しまわるのだね、いつもそうだ。そん時は良いも悪いもどうでもよくなってるのさ。買いたい、聴きたいと思った時が「良いもの」なのだ。そしてそれに賭けるのだ。いいも悪いも、評価はその後だ。価値が決まってから、いそいそ聴いても、それは単なる確認でしかない。自分にとっての価値を見出す事、人が決めた価値に意味はない。そこが大事だと思うんだけど。 

8月15日(水)
お盆の墓参り。母の剥き出しの言動は凄い。老いたる脳に限界は存在しない。のんびりした団欒にスリリングな瞬間が走る。知らない間に首相の靖国参拝。戦争責任考えろって事なのか、小泉さん。そこいらの小市民じゃないんだから、やることやってからじゃないの、の感はある。政治でなければ出来ない事は、政治で解決するしかない。私は母への愛表現を見つける闘いで戦争中だ。

8月14日(火)
実家から店まで、でっかいビリヤードゲームをしょって単車で2時間ビュンビュン走行。初めて休みなしで走りっぱなしの快挙。全てビリヤードゲームのせい。こんな、でかいの、しょって走る馬鹿もいないが仕方ないのだ、遊びの為なら苦労いとわず。左手が痺れてどうしようもないが、休めば背中の荷物を降ろさないといけないので、めんどくさい。で、ノンストップ。そして、その苦労も報われず。なぜって、実家に忘れてきたのだ、店やアパートの鍵。フジヤマの前で呆然。そんなこんなで、フジヤマ臨時休業と相成る。ビリヤードゲームを店の外に隠し置いて、再び実家へ。ただ戻るのも悔しいので坂戸の清水嫁の新居へ向かう。もうこうなったら、やけのやんぱち一人ツーリングだ。環八から川越街道に入ったところで、お馴染みチェーン外れ。今回は身軽なのでジョナサンで一服。駐車場でチェーンを直してると、茶髪ヤンキー軍団の一味に取り囲まれ危機一髪、と思いきや「すいません、私のバイク見てもらえませんか?」見ればピカピカのホンダモンキーのチェーン外れ。このぐらい自分で直せ!と思ったが一味の中に可愛いコギャルがいたので断れず。チェーンの張りも直してあげたら、そのコギャル「いくらですか?」ときた。コギャルに「いくら?」と言うのは、普通、オジサンの方じゃないの。逆援交ってとこか。ま、冗談はともかく、人の好意を金で精算しようとするヤングは、ヤングじゃないよ、と言いたかったが、可愛いから笑ってやりすごした。可愛いって事は得だね。
川越に着き清水嫁んちに電話するが留守。スカ。ハズレ。何やってもことごとく裏目の一日。

8月13日(月)
母のところへ行く途中、単車のチェーンが外れる。しかも上野で一回、草加で一回の計2回。糞暑い中スプロケットまではずして整備。左手が最近痛くて力入らず疲れた。チェーンもだいぶ伸びてきてるしスプロケットもやばい感じ。なんとか走れるようにしてみたが、6万キロも走って、よくもってるよ。

8月12日(日)
復活宣言しといて、いきなりズボラ。PCに触れもせず。いろいろ風雲急をつげて、それどこじゃない。
夕方アパートに戻る途中で大好きなゆーゆに会う。ゆーゆといっても、ぱっとした話題もない、あの芸能人じゃなくて、まぶだちのゆーゆ。めちゃダルで銭湯で小休止したかったので、彼女に店をあけてもらって店番を頼む。売上が良かった。やっぱ女の子がレジだと店がキュートになって、売上もいいのかな。

8月9日(木)
なんだか色んな疲れることばっかで、この日記も店も休んでしまった。メールの返事も休んだ分だけ溜まりに溜まって、頭痛い。日記の意味は相変わらず分かんないままなので、どうしたもんか。世界陸上もつまらんなぁ。左腕が思うように動かないのはどうしたもんか。どうしたもんか、が多くて困ったもんだが、片っ端からかたずけていかないと、先に進めない。今日から復活だ、頑張ろう。

2001年(平成13年)7月

my favorite/お菓子のおまけ恐竜

7月26日(木)
鏡見て驚く。真っ青の上、粉吹いてる。こんな時は笑うしかないが、ちょっと笑えず。一気に年取った顔。浦島太郎かオレ。ひたすら寝る。眠くもないが、こんな時は横になってるのがいい。夜になって少し動ける感じになったので散歩。外は案外涼しい。清美が以前「BOOK OFF」は¥100で古本売ってるって言ってたので246沿いの「BOOK OFF」まで歩く。何か目的がないと散歩する気も起きない。が、健康考え散歩だ、すっかり病人だなオレ。ロシアの芸術家ロトチェンコの画集を購入。さすがに¥100では買えなかった。

7月25日(水)
食あたりで寝込む。

7月24日(火)
実家からの帰途、強雨に合い、せんげん台のファミレスで小休止。席についたが全然オーダーを取りに来ない。15分ほど待ったがナシのつぶて、ってつぶてってどういう意味?近くを通るウエートレスに声かけるが「少々お待ちください」と言ったままシランプリ。で、また5分。なんか、ヤな感じ。よくよくテーブルの上見たら「御用の方は、このボタンを押して下さい。」と書いたボタンがある。押すと、さっきのウエートレスがすぐ来た。なんかおかしくないか、こういうの。ボタンみたいなメカより人情を優先しろ!交差点の信号だって、そこにおまわりが居れば、その交通整理に従うんだ。信号のメカより人なんだ。

7月23日(月)
カメラレンズのフォーカスリングが硬くなったので、銀座の「銀一カメラ」でヘリコイドオイルを買おうと、くそ暑い中出かけたが、ない。こういう修理用具は「銀一」で全て事足りていたのに、だんだん儲からない事はやらなくなってきちゃうんだろうか、なにか寂しくなった。

7月22日(日)
クーラーをつけているけど、店は全然涼しくない。みんな汗だくで商品見ている。ありがたいが、申し訳ない気分でいっぱいだ。夏は暑いのが当たり前で、冬は寒いのが常識だから、人としてそれが自然。と、いってはみたが、ちょっと限度越えてます。許して下さい。業務用のでっかいクーラー買えないから、金魚でも店内で飼って涼んでもらおうと思う。「フジヤマ行ったらさぁ、暑いのなんの、まるでサウナだよ」って、いい思い出になるような気が..........しないか。

7月21日(土)
アウシュヴィッツの林君が20000Vでライブとの電話が久美ちゃんから入るが、用事があって行けない。なんて間の悪い私なんだ。絶対彼が上京したら行こうと思ってたのになぁ。
 
7月20日(金)
兵庫から苗ちゃん来店。8時に店閉めて「大戸屋」でメシ。だみあんも合流して「シャノアール」でお茶。役に立たない、くだらないフジヤマ・ホームページを作る計画を話すが、ただ笑われるだけだった。

7月19日(木)
マリナーズのイチローが日本人プレスに対して取材拒否してたのは、女性スキャンダルがあったからなんだね、どうやら。プライベートを守れない辛さは当の本人しか分からない事だけど、浮気か。そんなこんなが、ガセなのか、どうでもいいけど、どんな大義名分があったとしても、モノにはウラがあるという事です。
芸能人ネタでは最近の深田恭子もヘンだと、TVでやってた。確かにおかしな服着て、妙な化粧で、言動も馬鹿まるだしですね。でも、それが芸能人としては優れてると思うんだよ。彼女は、演じて、そうしてるとは思えない、好き嫌いは別にして、おかしな人は私たち平民を幸せにする。そういった意味では結婚前の吉川ひなの、も異常で幸福気分にしてくれたなぁ、最近のひなのちゃんはダメだ、そこいらの、ちょっとロック好きな綺麗なオネイチャンだもん。私は深田恭子に期待する。って、なに期待すんのか意味ないけども。
ま、幸福な気分になりたいだけなんだけど。芸能人の使命って、そういう役まわりでしょ。

7月18日(水)
たまりにたまった通販の在庫の返事メールを書いてたら一日終わってしまう。抜き出したCDを整理して取置きしなきゃなんないし、店出しする在庫が何処にあるのかも探さなきゃなんないし、大変だなぁもう。最近はメールでの問い合わせ取置き通販のキャンセルが多くて気合入らない事おびただしい。

7月17日(火)
杉戸の姉からカレーのレトルトを10食分貰う。これで今週は食費がかからない。昼過ぎに東京に戻って、アパートで仮眠のつもりが熟睡して、目が覚めたら夜8時。しまった!店休みになっちゃう!で、あせって夜の10時に店あけるが、客なんて来ないわな。仕方ないから店内の、しょぼしょぼしてる蛍光管を総取替えしたら、あら不思議、もの凄く明るい店になった。なんか、それだけで仕事した気になって店を閉める。本日の営業時間60分。

7月16日(月)
あまりに暑いので、皇居の木陰で休む。なんだか皇居って原始の時代からそのままのような緑があって、さすが守られてる感じ。
赤痢のあやちゃんが、カナダに移住するとのメール、なんか淋しい。

7月15日(日)
古くからのお客さんの落合さんが子供を連れて来店。「ニューエストモデル」のCDを買ってくれる。買う商品も懐かしいが、昔のお客さんは実にフレンドリーだ。なんでだろう。フジヤマは古くからの、いいお客で成り立ってるんだなぁと、しみじみ。

7月14日(土)
久々に店開ける。タイロウ君からメールが来てた。今日クアトロでライブらしい、司会やってほしいとの事だけど、体がだらけている、飯も食ってないし、すぐ、めまいで、なんかおかしい、オレの身体。ええい、いじめてやれ!てなわけで、渋谷クアトロのザ・原爆オナニーズのMCやってきた!具合が悪いからってんでショボイ声出してもしょうがないから、とにかく、デカイ声出しといた。

7月13日(金)
店開ける前に銭湯でさっぱりしたのに、外に出たらもの凄い熱さ。なんだかすっかりやる気なくして、バイクで横浜まで訳わからず走る。うらぶれた公園でリヤカーのアイスキャンディ屋であずきアイス1本かじって、ぼんやりしてた。やっぱ熱いので、ジャズ喫茶「ダウンビート」で涼もうと思ったが、ダウンビートのオヤジさん死んじゃっていないのを思い出して、やめた。ズル休みは続く。

7月12日(木)
賞味期限が3日程過ぎているが、バーベキューをやった時の残りの牛肉を食う。変色してたが、なんともなかったので嬉しい。コンビニまで動けそうもないので、その肉だけで少し元気になる。食いたくなったら食う、それで結構持ったりする。明日は店開けようと決意。

7月11日(水)
2日間何も食ってない事に気ずくが、食いたくないから食わず。布団の中で天井見てた。店休む。

7月10日(火)
バイクのオイル漏れを治してたら、めまい。店休む。

7月9日(月)
母の検診受付申し込みをしに、早朝春日部の病院まで。やたら病人だらけで、こっちが具合悪くなる。

7月8日(日)
静かにしてた。カウンターの中から一歩も動かず、静かにしてた。いつになったら元の体に戻るのか、明日までこの調子だったら、仕方ない、暴れよう。静かにしてダメなら暴れるしかないでしょ。

7月7日(土)
今日は七夕バーベキューをフジヤマでやる予定なので、ヘロヘロの体で店に。なんだか死ぬほどの肉を清水嫁がもってきたり馬のエサのように山となったもやしをハチミツ二郎さんが持ってきたりで、余計体によくないみたい(笑)。でも皆で食った食った、元気が出た。多少体調が悪くても、とにかく肉くってりゃ死にゃあしない。QPクレイジーの本間君の北京ライブのヤバ話をさかなに皆で大笑い。BBQのケムリもんもんの上にトメ(シーミール)達が花火を始めて又ケムリもんもん、フジヤマの前の横断歩道は火事のよう。しかも深夜だから、道行く人が怪しがって、遠目にチラチラ見ている。だみあん達女性陣が浴衣姿なのでいい雰囲気だった。次は「流しそうめん大会」をやろうという女性陣の提案に、私は夏といえば、やっぱ「納涼行水大会」がいいな、女性はビキニで、と言ったが誰も相手してくれず。

7月6日(金)
なんだか調子悪い、医者にかかる。歩くのも辛くて病院のそばのラブホテルで一泊する。

7月5日(木)
昨日貧血で倒れた時に、どうやら肩を打撲したらしくて、腕が上がらない。料理の腕も上がらない、ってオヤジまるだしギャグで紛らわそう、オレかわいそ過ぎる。年寄りって、なんでもない道でつまずきもしないのによろけてるのが不思議だったが、なんとなく、その域に入ったみたいで、カンジが分かってきた。足がついて来ないんだよ、悲しいかな。その上貧血だ、鬼に金棒だ、ちょっと例えが違うかもしんない。
昼の2時頃、尾野寺に起こされる。アパートにおにぎり一個と栄養ドリンク1本持参で・・・。救援物資のおかげで、ゆらゆらしながら店開ける。肩は上がらないままで、売上も上がらない。上がるのは温度ばかりで腹が立つ。

7月4日(水)
貧血で倒れる。

7月3日(火)
旧友のサワキカズミさんから電話。元気なし。近いうちにロンドンに住いを変えるとのこと。柏のマンションを引き払って、今は宿無しで辛そう。でもロンドンに行くんだから良いと思うけどなぁ。オレなんか数年前アパート追い出されて店で寝泊りしてたんだから。ロンドンだNYだ言ってらんなかったもん。環境変えれば何かは変わるよ、変わる事も必要な場合もある。さっぱり出来るんだから、良しとしなきゃ。さっぱりしたくても、ひきずるものが多すぎてゼロになれない場合が多いんだよ、歳くってくると。好漢サワキに栄光あれと祈る。

7月2日(月)
早朝、めしが喰いたくなって西成へ、西成だったら確実に朝6時でも定食ぐらいありつける。動物園前の「大よし」向いの露店で¥300のシャツ買って、蒸し暑い汗ばんだ徹夜明けの体をなぐさめる。日雇いのおっちゃんたちと一緒に飯くって、さてと林君ちに行ってみたが、いざ住宅の前までは来てみたが、どの場所だか忘れて思い出せない。電話してみたが今度は「現在使われておりません」ときたもんだ。行けば分かると過信してた私、自信喪失。いつもこういう無計画だからいけないのかも。とぼとぼと「あべの銀座」のアーケードを天王寺に向かって歩いてたら「阿倍野橋温泉」なんて看板がある、どうみても銭湯にしか見えないけど温泉か?しかもまだ早朝。ひとっ風呂浴びてたら、死にそうな爺さんが「どっから来たん?」と突然訊いてくる。やはり土地の人間じゃない事が分かるらしい。「東京からです」とこたえると「まあ、頑張りや」と。「有難う御座います」と言ったけど、「頑張れ」とは、私はどういう人に見られたんだろう、家族と離れた日雇い、蒸発したアホ亭主、隠れ犯罪者、そんなとこか。

7月1日(日)
起きたら夕方。大阪のサンホールでカラードライスメンやスリップヘッドバットが出るので、たまには息抜きしたいので出かけてみることに。大岩(スリップのVO)の話だと林君(アウシュヴィッツ)も来るらしいので、なんの予告もなしに向こうでバッタリ会ったら、さぞ楽しかろうし。病気の彼も笑ってくれるだろう。まあ、会えなくても、とりあえず息抜きがしたかったんだ。
アメ村のサンホールに9時頃到着「ライスメン」やってた。みのる(b)が「なんば!サイコー!」なんてローカルな事言ってたのはご愛嬌。久しぶりに石屋にも会う、東京で会わずに大阪で会う、こんなもんかな。林君は会場に姿見せず、会えず残念。東京の連中と、わざわざ大阪まで来て、デレデレ酒飲んでもしょうがないので林君とこに電話してみたが、通じず。道頓堀のひっかけ橋で似顔絵書いて売ってるお兄ちゃんと世間話。お兄ちゃんには熱烈なファンがいて、その子が私をなにかのマスコミの人間かと勝手に決め込んで「TVに出したって!」と食いついて離れないのには困った。さすが関西、押しがくどい。バッタリ久美ちゃんとマユミに会う、彼女たちもサンホールにいたそうで、いやはや。私は携帯を持たない主義なので、彼女の携帯を借り林君にメールして、ひとり心斎橋の「まんが喫茶」で徹夜。そこでフジヤマのHPを見てみたら、見え方が自分のPCとえらく違うのでビックリ。レイアウトなんか気をつけて作ってたんだけど、全く意味がないことを発見。もう適当に作ろう。

2001年(平成13年)6月

my favorite/my self

6月30日(土)
カラード・ライスメンのブッチャー(VO)とレイカ(G)とローディーの信治が来て、これから大阪にライブに行くんで金欲しいからと、ライスメンの新しいTシャツを納品して、さっそうと大阪へ向かった。こんな風景は最近なくなってきてるから、フジヤマの存在価値は少しはあるんじゃないかと、思ったりする。昔から知ってるバンドは、やはり気持ちいい。
 
6月29日(金)
シーミールのWAKA(オレは昔からトメと呼んでる)が、自分の原稿をフロッピーにいれて持って来てくれる。メールで送ってくれていたんだけど、私、画像の添付ファイルが開けず困ってたんだ。トメに教えてもらった。簡単だった。OUTLOOKの使い方すらよく知らない分際で、難しい事は出来る不思議な男です、私。サクサクとトメの「IMOCHOCOCHEESE#5」を編集して、転送したら、もう夜中だ。深夜営業かフジヤマ。
ところで、こんな日記って意味がよく分からない、人様に公開して、なにがおもしろいのだろう。わからん。
ウソ日記にして読み物にした方がまだクリエイティブな気がしてきた。うそ八百の日記ってのも、いいかもな。でも、誰が目を通してんだろう、こんな冴えない日記、やっぱ、やめようかな。エブリデイ・アップデート・サイトに挑戦するのに、安易に日記なんて、そこいらのオッサンじゃないんだから・・・。じゃあ、どのへんのオッサンなの?ってツッコミ入りそうだけど。

6月28日(木)
店を開ける前に銭湯で汗をぬぐい、さっぱり。さっぱりはいいが銭湯も客がさっぱりだなぁ。個人的にはとてもいい感じだけど、銭湯の維持も大変なんだろうな、と、なんだか身につまされる。フジヤマHPの掲示板にJOJOの書き込みがあり、アルケミーHPのなかでJOJO自身が書いてるコラムの宣伝してあったので早速見てみたら、とてもいい。自分に影響をくれたレコードやCDを紹介している。私も自分のHPで同じようなコンセプトでレコード紹介しているので、やっぱ仲間なんだな、考える事ほぼ同じ(笑)。でも、私よりも、ちゃんと音楽を語ってるのに感心しきり。私は別に音楽そのものになんて、あんまり興味ないから、自分がさらけ出せればいいだけのヤクザなコラム。ただ音楽は自分の生き方の大切なヒントなんだ。

6月27日(水)
まるで猛暑のだらだらで、店のドアを開けておけない。閉めてクーラーつけてれば幾分楽。でも店のドアを閉めてると、全くお客さんが入店しないのは分かってるんだ、昔からそう。なにせ怪しげな店に見えるらしくドア開けるには勇気の覚悟がいるらしい。こんな時、バイトのオネイチャンでもカウンターにいれば、安心なんだろうね、お客さん。覚悟決めた上、へんなジジイがカウンターにいたんじゃ、さぞ辛かろう。愛想ないけど、心の中では感謝してんだよ、本当に。

6月26日(火)
深夜までかかってメールの返事を書いてたら急に嘔吐。めまいで、カウンターの中のパソコンの前で倒れる。帰るに帰れず、ただうずくまる。

6月25日(月)
コンビニで150円で売ってる恐竜のフィギュアがおまけのガム買ったら、そのおまけの恐竜が実にいい。子供だましのおまけかと思ってたら、とんでもない!今はこんな時代になってたんだ、しらなんだ。どうしてもTレックスが欲しくて店頭にある6個全部購入。しかしみんな訳のわからぬ恐竜ばかり。やっぱ、このあたり昔とやり方は不変のようです。私、子供の頃を思い出して苦笑い。
フィギアといえばロリータ18号(¥3000)を弁天の木村さんが納品してくれたなぁ。そうか、これが俗にいうフィギュアブームってやつだ、って、もの凄い思い込み。そうだ!タダシくんフィギュアも作ろう!型は出来てるし。

6月24日(日)
パソコンをくれた、みえちゃんとしみちゃんのおしどり夫婦が来店。ビデオ映像をフジヤマのホームページでインターネット放映できないか?と相談するも、今の技術ではめちゃめちゃダウンロードに時間がかかるので辛いとの事。光ケーブルの整備がほぼ蔓延したらやれる事らしい。試しに映像を流している「大川興業」のホームページ見てみたが、私のやりたいカンジには程遠く、違うやり方を模索してみようと思う。

6月23日(土)
弁天レーベルの木村さんと久しぶりに店で話し込む。レコード会社の営業の人ってなに?だめでしょ。と、笑いながら意気投合す。「フリーの営業」って職業があったら、木村さんやりたいらしい。営業なんか絶対やりたくない私は彼女の怒涛の話っぷりに、すっかり聞き役。

6月22日(金)
日本橋の「カメラのきむら」でタムロン90ミリマクロレンズを買う。勿論中古。最近カメラ関係の新品買ったためしがない。そういえば、なにもカメラに限ったことではないが、買い物で新品買ってないなぁ。私もだいぶ中古だし。
オートモッドのジュネから電話で「出来がいいから、売ってよね!」と自身の新譜CDを誉めてた。さすがジュネ、昔とぜんぜん変わってない自信家ぶり。アーティストはそうでなくちゃ。

6月21日(木)
てっちゃんも尾野寺も爆笑の連絡が入る。そうでしょ、おれはこうゆう才能はかなり自信があったりする。仕事ノリのホームページは充分やってるつもりだから、これ以上やりたくない。だからって訳でもないんだろうけど、今日客が3人しか来ない。

6月20日(水)
まじめな、店の営業的なホームページの記事作りに飽きてきたから、ちょっと楽しいページを作ってみた。
店に来てくれた人のポートレート写真を載せるという、ありがちな発想だが処理表現がありがちじゃない!デジカメ買ったから、すぐに貼り込めて便利だ。さっそく店に遊びに来た尾野寺君と隣りの八百屋さんのてっちゃんをホームページに載せる、いい感じだ、笑える、フジヤマはこうでなくっちゃ!

6月19日(火)
めざせホームページ毎日の更新!で、その作戦計画はありがちな「日記」つう事で。