Vol.7「もう二度と会えない人」
それまで私は、自分に近い人の死に遭う、ということがなかった。
その当時、彼は21歳。
会うたびにいつも髪の色が違い、痩せた体にはたくさんの入れ墨があった。
埼玉の熊谷に住んでいた彼は、決して近くはない三軒茶屋や下北沢のライブハウスに、私たちのライブを見によく足を運んでくれていた。
終電ぎりぎりだからと、いつも走って帰って行った。
私と彼の共通の友人が作ったカレーが大好物だと、彼はよく長々とメールに書いてきた。
周りにいる友達をとても誇りに思っているようだった。
ベランダでプチトマトを育て始めたんだけど、あいつと、どっちがたくさん実を付けるか勝負してるんだとか、普通に生活していることを日々楽しんでいるように思えた。
彼が普段、何をして生活しているのかは、よく知らなかった。
アイスランドの教会でビョークの生ライブを見たと、感動していた。
彼曰く、怖いくらい美しい、というオーロラの画像をメールに添付して送ってくれた。
しかし、それは何度送ってもらっても、ソフトとの相性が悪いのかなんなのか、最後まで開くことができなかった。
ライブを控えたある夜、練習の前にメンバーと食事をしている時、彼との共通の友人から電話が来た。
「あいつ、死んじゃったよ」と。
突然だった。
電話の後の練習は、まったく歌にならなかった。
彼が亡くなる前日、私のバンドのホームページの掲示板に、彼から私に宛てた書き込みがあった。
その時に限って「今日返事するのは面倒くさいから明日でいいや」と思い、すぐに返事をしなかった。
「どうせ、明々後日のライブで会えるし」と。
しかし彼は、私のレスを見ることなく逝ってしまった。
レスを怠けた自分自身がとても腹立たしかった。
そして事もあろうか、彼の葬式に間に合わなかった。
さんざん道に迷った挙げ句、新幹線に乗り継いでいったが、着いた時に友に言われた言葉は「ワカちゃん、あいつもう骨になっちゃったよ...」
喪服を着た友が「昨日、彼の部屋に行ったらシーミールのレコードが飾ってあったよ」と教えてくれた。
気持ちの行き場がなかった。
彼が見に来るはずだったライブ中、私は歌いながら彼の事を思った。
最後に彼と会ったのはいつだったのだろうか、などと。
その時、私がこの場所に立つのも今日が最後なのかもしれないと思った。
自分という存在も、明日同じように存在しているか否かはわからないのだと。
そして、今自分の周りにいる人たちとは、今日会えていても、この次にまた必ず会えるという確証は何もないのだと思った。
1回1回のライブを精一杯やろうと思った。
大事なものをもっと大事にしたいと思った。
人と人との出会いと別れは約束できないし、保証もできないものなのだ。
2001/7/5
友の1周忌に寄せて
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