虫の話

日野日出志というマンガ家がいる。

『事故具の子守唄』だとか『地獄変』だとか『毒虫小僧』だとかとにかく気持ち悪くて怖いマンガを描かせれば右に出るものはいないという人。餓鬼の頃はそのマンガを読んで気持ち悪くなって捨てたりした。

自分があとにも先にも怖くて捨てたマンガというのは日野作品だけ。

数年前にその日野本人にインタビューをすることになった。いささか緊張したが、会ってみたら、これはこれは普通の人だった。爽やかな初老の紳士。別に気持ち悪かったり狂気に彩られたりしてないの。びっくり仰天腰砕け。
しかもインタビーして知ったのだが、この作家当人がえらく臆病なのだ。虫の類いは怖くて触れないのだという。毒虫小僧の作家が、だ。

マンガのなかで死肉を喰らい、人を襲う虫、いや蟲と書いた方が適切な禍々しいそれを跳梁跋扈させている作家は虫が嫌い。なんだそりゃ。仕事場に蛾や蝶が入ってくると奥さんにそれを追い出してもらうのだという。虫は見るのも触るのも嫌らしい。ふーむ。
しかし臆病だからこそ、自分が恐怖感嫌悪感を抱いているからこそ上級の怪奇と狂気を作り上げられるのだろうな。虫が好きな人は虫をグロテスクに描かないと思う。

しかし嫌悪感とは奇妙なもの。人によって受けとり方はいろいろ。所詮は主観の問題だと思う。社会的通念によって無気味とされているものだって、それはたくさんの人が主観を共有しているだけのことに過ぎない。本当の意味でみんなが気持ち悪いと思うものは、ない。

話はちょっと戻るが、虫というものは人によってかなり気持ち悪いと感じるか感じないかが露骨に現れると思う。

例えば螳螂が嫌いだという人がいる。私はなかなか愛敬のある虫だと思うのだが、苦手な人はとことん苦手。字を見るのも嫌だという。螳螂カマキリかまきり。

三島由紀夫は蟹が嫌いだったらしい。文字も含めて。関係ないけど魚偏の字がズラッと並んだ湯呑みは寿司屋にあるけど、虫偏の字が並んだ湯呑みは無気味だろうか。蛇蛙蛭蝗蜻蛉蚯蚓・・・といった具合で。ああ虹も虫偏か。

釣り人にとってはミミズやゴカイなんてのは釣り餌として慣れ親しんでいるモノだけどあれが苦手という人は多いはず。前に知り合いの女の子と釣具屋に行った時に(なんで行ったのか理由は全く思いだせない)ガラスケースや水槽のなかで売られているそれを見て彼女は顔を青くしていたっけ。

考えてみると子供のころは平気でミミズとか触っていた私であるが、最近はちょっと苦手だなあ。いろいろくだらん情報を仕入れ、無駄に成長したために虫の一部を差別しているのかもしれない。ミミズには申し訳ないことをした。

逆に子供のころは毛虫が大嫌いで見ただけで嘔吐感が込み上げていたが、最近は見るのはまだ平気。でも触れない。芋虫とかも辛いかもしれない。

テレビでよくゲテモノを食べる。みんな嫌がったりして。芋虫やサソリなど。しかしサソリとエビの外見上の大きな違いがよく考えるとわからない。サソリのから揚げは気持ち悪くてエビのそれは美味しそうにみえる。なぜだろう?

タコやイカも食べ物として情報をバンバン仕入れているから美味しそうに見えるのであって、かなり異常な外見をしいる。事実、タコイカを食用としない民族にはかなり無気味な生き物として認識されているようだ。そういう国の人が立体のタコの模型が看板となっているたこ焼き屋を見たらどう思うだろうか。我々からすると可愛らしいサソリの人形が飾られているサソリ料理専門店を異国の地で見るような衝撃。

考えるとキリがない。目の前にあるものは一種類なのに、それにいろいろな意味がベッタリと貼りついている。よくよく見たら人間だってかなり気持ち悪い生き物に見える。

みんな綺麗で、同時にみんな気持ち悪い。

2002/2/15


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