渡辺正 連載コラム #44 フジヤマで売ってないレコードたち。
このレコードのチェット・ベイカーは悲惨である。 愛情込めての物言いだから、誤解の無きよう。 ナイーブなチェット・ベイカーのヴォーカルは、いつものちょっと痒い感じでエロいんですが、雰囲気ヴォーカル物としての名作「シングス」を1954年にアメリカ西海岸のパシフィックジャズ・レーベルから出しているので、その4年後の1958年録音のこの盤に聴くチェット・ベイカーは荒くみえる。歯抜けな感じの発声も悲惨。 傑作「シングス」がチェット・ベイカーなら、こっちの「シングス(it could....)」はチョット・ベイカーである。 ラス・フリーマンといった静かで従順そうなピアニストを従えての「シングス」から、バリバリなNY録音(リバーサイド)でピアノにケニー・ドリュー、ドラムはフィリー・ジョー・ジョーンズ。曲によってはダニー・リッチモンドだから、自己主張のNYらしいと言えばまあ、そうかも。 歯抜けトランペッターのヨタヨタしたヴォーカル、この4年間になにがあったというのだ。見事な官能のヴォーカルは、たかが数年でこうも愛に見放されたように悲しい。 それでも、このジャケット写真はなんとロマンチックなことか! チェット・ベイカーという人は分かりやすい人なんだろう。こういう人は自分に正直に生きてるから、なんと愛すべき人という評価が下される。良きにつけ悪しきにつけ。はたで見ている分には楽しいが、身近な友達だったりすると、ちょっと困ったりする人。 こんな人は案外良いものを残す。 そんな人を私は随分知っている。と言っておきながら、「そんなお前こそ困ったヤツだよ!」とツッコミ入りそうだけど。私は残念ながら、ろくでもないものしか残せないから、単に困ったヤツで終わる可能性大。 フジヤマを出してすぐの頃、旧知の友人N君が、あるもめごとで人気作家T氏を刺そうとして失敗。その場で割腹自殺を図りました。幸い、死に至る事無く、しばらくして出所。当然仕事(俳優)もなく途方にくれてたが、当時ADKの「あぶらだこ」のLPがフジヤマで物凄い勢いで売れてるのを目の当たりにして、何を思ったか「俺も頑張る!」とか言って、更に「有名になったる!あぶらだこってオレの全然知らないバンドだってこんなに売れてんだ!」 。 まあ、単純といえば単純なんだけど、彼の一途はとてもいい。 で、彼なにをしたのかといえば、フジヤマに自分の電話を引いて自分の事務所にしちゃった。熱に負けて、軽い気持ちで協力した。あんな事件を起こした男だから、そりゃ妙なところから電話かかってきます。対応も大変だったなあ、今にして思えば。本人はフジヤマにはいないし(笑)。 「オレは絶対有名になる!」暁には「ナベさんにもいい思いさせてやる!」それには「事務所が必要」まずは「オレは営業に出向く」よって「電話番頼むね!」。 いい根性だったなあ彼、愛すべきナルシストの彼のその後は、知らない。 2002/8/22 |